今回で本連載は100回目を迎えます。連載開始当初の2年前はまだ新型コロナウイルスが出現しておらず、働き方改革関連法の施行を受けて企業が長時間労働の是正や年次有給休暇の取得義務化への対応などに向けて重い腰を上げたところでした。
それが新型コロナウイルス感染抑制のための緊急事態宣言を受けて、働き方改革関連法どころではない強烈な外圧によって一気にリモートワーク化が進むかに思われました。その後は一部で出社回帰の動きも見られるものの、ZoomやTeams、Google Meetなどを用いたオンライン会議は当たり前のように使われるようになり、これまで遅々として進まなかった脱ハンコも社会に浸透しつつあります。また、副業の推奨をはじめ働き方の多様化も求められるようになってきています。
こうして振返ってみると、連載開始当初からたった2年の間に私たちを取り巻く環境はがらりと変わった感があります。本連載のテーマには「定時で帰る」という言葉が含まれますが、リモートワークに完全移行した方にとってはもはや「時代遅れ」と捉えられるかもしれませんね。
しかしながら、リモートワークであっても副業であっても、短時間勤務であっても仕事において絶対的に求められるものの本質は変わらないはずです。本連載では、私の尊敬する先輩コンサルタントの方々や一流のクライアントの皆さまと共に難題に立ち向かっていった経験を通して得られた学びや気づきをベースに、そうした仕事の本質に迫る想いで記事を執筆して参りました。
これまでの99回の内容の中で、いずれか一つでも読者の皆様のお仕事に役に立てていれば、これ以上に嬉しいことはありません。そして、いつも読んでくださっている方には心より感謝いたします。今後とも役に立つ内容を発信できればと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。
では、前置きが大変長くなってしまいましたが本編に入ります。本連載の第99回では「『教わってないからできません』と言うのはやめた方がよい理由」と題し、やったことがない仕事、やり方を教わっていない仕事を指示されたときに取るべき対応をお伝えしました。今回は100回ということもあり、本連載のテーマそのものについて考察します。
本連載のテーマは「成果を上げながら定時で帰る仕事術」ですが、このテーマそのものについて批判的に考察してみます。もちろん、前述したように働き方改革関連法の施行で残業規制が厳しくなったということはありますが、それとは別に一個人として「定時に帰らなくてもよいのではないか」という主張について考えてみます。
主張1. 仕事が終わっていないのに「定時だから」というだけで帰るのは無責任ではないか
「定時で帰りたくても帰れない」という人の多くはこの主張に共感するのではないでしょうか。その日の内に終えなければならない仕事が何らかの事情で定時までに終わらないから仕方なく残業しているというケースです。
仕事をしていれば同僚の急な欠勤や取引先のトラブル、災害の発生などの突発的な対応が発生して、やむなく残業をするというのは仕方がないことでしょう。しかしそのようなイレギュラーが起きているわけでもないのに「定時で仕事が終わらない」のが常態化しているのだとしたら、それは「環境あるいは仕組み自体に欠陥がある」と捉えて改善すべきと考えます。
そもそも始業時刻は厳守するのに終業時刻を守らないというのはある意味で時間にルーズなのではないでしょうか。ここで少し考えてもらいたいのですが、会社員は自分の労働時間を会社に提供し、対価として給料をもらっています。
これを時間単価3,000円の家事代行サービスに置き換えて考えてみましょう。部屋の掃除を依頼した際、見積もりの時点では「所要時間は2時間なのでご請求金額は6,000円です」と言われていたとします。しかし実際には3時間かかってしまい9,000円請求されたらどう思うでしょうか。しかもそれが毎回です。何度頼んでも毎回見積もりより多く時間がかかり、おまけにその分のお金まで請求されてしまう業者がいたらきっと他の業者に乗り換えますよね。社員による慢性的な残業は、会社にとってはこのケースと同じことと言えます。
主張2. 定時で帰宅すると同僚との熾烈な出世競争に勝てないのではないか
同僚が残業を厭わず寝る間も惜しんで仕事をしている一方で、自分だけ定時で帰るのは出世する上で不利に働くのではないかと懸念する気持ちは分かります。確かに一昔前であれば「残業する=頑張っている」「定時で帰る=やる気がない」と評価されることは多かったように思います。
しかし時代は変わりました。ビジネスを取り巻く環境の変化が激しい今の時代は、とにかくスピードが命です。それなのに、もし自分の職場が「多く残業した方が評価される」という環境だとしたら、その職場あるいは上司の下で働き続けるのはリスキーだと言わざるを得ません。そのような職場では自分やチームの生産性が上がらず、変化から取り残される恐れがあるからです。
もし、今後の自身の成長と活躍を望むのであれば部署異動、或いは転職などによって自分やチームの成果で評価される環境に移ることをお勧めします。
主張3. 定時で仕事を終えると自身の成長スピードが落ちるのではないか
仕事をこなす量と成長が比例しているのであれば、残業した分だけ成長に繋がるのでこの主張は正しいと言えます。しかし、この主張が成り立つのには前提条件があります。
そもそも仕事において成長するとはどういうことでしょうか。私は教育の専門家ではありませんが、ここでは成長するということを次の2つのいずれかのことと定義します。
1. 今までできなかったことができるようになる
2. 既にできることをより早く/正確に/楽にできるようになる
残業することで以上2つのうち、いずれかを達成すれば成長しているとみなすことにします。ではそれぞれを検証してみましょう。
1. 今までできなかったことができるようになる
「これまでにやったことのない仕事」や「これまでとは異なるやり方」を経験することによって達成できると考えられます。そしてこれらは「残業するか定時で帰るか」とは一義的には関係がありません。むしろ定時で上がって読書したりセミナーを受講したり副業したり、外部の人と交流するなどした方がよほど新しいことに取り組めるのではないでしょうか。
2. 既にできることをより早く/正確に/楽にできるようになる
これは「これまでにやったことのある仕事について、その回数をこなす」ことで達成できると考えられます。例えば書類の転記や資料作成、計算などの定型的な作業は回数をこなすことで次第に慣れていき、より早く、正確に、楽にできるようなります。そのため、残業してそうした作業をより多くこなせればその分成長できるでしょう。
しかしここに2つ落とし穴があります。1つ目の落とし穴は「習熟度が直線的に上がり続けるわけではない」ということです。いくら成長して作業のスピード、正確性、疲労感が改善したとしてもどこかで頭打ちになるはずで、それ以上の成長は見込めなくなるはずです。そして2つ目の落とし穴は、こうした定型的な作業はどれだけ習熟度が上がったとしてもマクロやRPAなどで自動化してしまえば不要になってしまうということです。さらには作業を高速でこなせる人より、そうした自動化ができる人の方が会社からは重宝されます。
以上検証したように、残業すれば成長し続けられるという主張には無理があります。むしろ残業せずに済むように業務を見直して改善し、確保した時間を使って新しいことに挑戦した方が遥かに成長できると考えられます。
今回は敢えて本連載のテーマに対して「そもそも定時で帰らなくてもよいのではないか」という主張を取り上げて検証してみました。もし、自分は定時で帰りたいのに上司や同僚になかなか理解を得られないという方がいらっしゃったら、その方に本稿を見せていただければお力になれるかもしれませんね。