その昔、「24時間働けますか」というコピーでビジネスパーソンに問いかけるCMがありました。現代では、「ライフワークバランス」「働き方改革」が掲げられ、仕事に人生を奪われないような提唱がされています。みなさんにとって、理想的な「ライフワークバランス」とはどのようなものでしょうか。
ビジネス茶道に参加する大手企業勤務40代男性I氏は「ライフワークバランスとは、一日の中でとろうとすることではないのだが…… 」とお話されます。至極当然のことなのですが、極端なケースばかりがニュースになり、言葉だけが独り歩きしているのかもしれません。
短期間の中でバランスを取ろうとすれば、定時退社と自分の趣味や家族との時間という毎日です。それはあまり現実的ではなく、また、そうした働き方が人生の充実感や幸福感を生み出すのかという疑問も生まれます。私たちの脳は、小さな問題やストレスを克服した時に達成感や幸福感を感じるからです。
人生には様々な時期があります。体力のみなぎる20代や自由な時間の多い独身時代。結婚をして家族を持ち始める時期。子育てに時間と体力を奪われる時。子どもが自立しはじめ、自身の仕事人生をまとめあげようとする40代50代。想定外の事情で、ある時突然思うように仕事ができなくなることもあるものです。
仕事に没頭し集中できる時間は、長い社会人生活の中でも案外長くないものです。ならば、環境や体力が許す時期は、そこに没頭して大きなもののために働く時期があってもよい。組織側の業務の波もあります。大きなプロジェクトに向かってチーム一丸となって集中が必要な時は、それぞれが能動的に仕事に向き合う方が効率的です。
その代わり、家族環境や体力、業務の波に合わせて、ゆったり働く時間や時期を確保できることが大切です。そうした、人生の四季に合わせて日々の波を乗りこなせる暮らしを、ライフワークバランスというのではないでしょうか。
ビジネス茶道に集まるビジネスパーソンは、ご自身の波の合間に、脳と身体をリラックスさせる茶室にいらしているようです。
映画監督として国内外で活躍する北野武さんは、以前、大きな事故を起こしました。その時「もう終わった」と感じたそうです。事故の前は、花屋なんて気にもかけずに通り過ぎていたけれど、事故後は「この花きれいだな」と立ち止まってじっと見ることがある。その自身の経験が映画『HANA-BI』のワンシーンに描かれ、多くの人の共感を呼びました。そのように、生活と仕事とは切り離してあるものではなく、互いに絡み合って影響し合っています。
私は「ビジネス茶道」を提唱していますが、「ビジネス」と「茶道」は決して別のものではないと考えています。個人や社会全体が経済的にも精神的にも豊かに暮らすためのモノやサービスの授受がビジネスであるならば、一服の茶でもてなし、季節の花や丁寧に作られた道具に触れる茶道の中にも、ビジネス的要素が見えてきますし、働き方の在り方が見えてきます。
茶道の歴史を見ても、その時代の政治経済の流れと深く関わりながら継承されています。仕事や子育てに追われたり、満員電車に揺られたりする、普通の生活の中で、茶室というミニマムな空間に集中するひとときを持ち、ありきたりの景色の美しさに気づく心を養うのが茶道です。世代や環境の違う人たちとのコミュニケーションからは、多様性や寛容さを教えられます。
「ライフワークバランス」を考える時、就業時間の短縮に意識を向け過ぎるのではなく、就業時間の集中力と充実感を高めること、共に働く仲間を気遣う心にも注目したいものです。仕事は生活を犠牲にするものでもなく、私生活の充実が仕事を邪魔するものでもなく、双方が双方のためにあるべきです。
自分の役割や立場を俯瞰の視点で見つめる、非日常の茶室の時間が、緊張感のメリハリ、日常の彩り、人生の四季を味わう助けになります。
社会は、個々にとっての「ライフワークバランス」がどのようなものであるかを教育し学び合う場も必要としています。成熟したビジネス環境を育むために、文化芸術、精神性や所作、食の要素などをあわせもった茶道が役に立てる可能性はまだまだ広がっていると考えています。
プロフィール : 水上 繭子(みずかみ まゆこ)
大学時代に表千家茶道の師と出会い、入門。京都家元での短期講習会に参加し、茶道の奥深さに惹かれ、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)勤務や結婚、子育ての中で、茶の湯の稽古を継続する。その後、茶道の豊かさ、楽しさ、奥深さを伝えるべく、茶道教室を主宰。近年はコミュニケーション力や新しい発想力を養う人間力道場としての茶道を提案している。