いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。
今回は、西荻窪の喫茶店「どんぐり舎」をご紹介。
変わりゆく西荻でも、30年前から変わらぬレトロ感
地元が荻窪だということで、自転車でしょっちゅう西荻窪や吉祥寺まで行き来しています。
とくに隣の西荻は、30数年前から庭のようなエリアでした。お気に入りの古着屋や古道具屋、中古レコード店、喫茶店などを、日常的にぐるぐる巡回していたわけです。
南口の「遊々満月洞」(いまは「バルタザール」というお店になっています)、その上の階にあった「プラサード書店」(現「ナワプラサード」)とか、記憶を手繰り寄せるだけでも懐かしく感じる店ばかり。
そして、北口の路地を抜けると見えてくる「どんぐり舎」も、そんな思い出のひとつ。以前ご紹介したことのある「物豆奇」と並び、しばしば時間をつぶしていたお店なのです。
あのころは、お金はなかったけど時間ならあったからなぁ。
いつしか足が遠のいてしまったんですけど、とはいえ理由のようなものがあったわけではありません。あえていうなら、生活習慣が変わってしまっただけのこと。すぐに行ける場所なのに、考えてみればもったいない話ですよね。
そこである日の午後、ひさしぶりに足を運んでみたのでした。
ドアを開けただけで、30数年前となにひとつ変わっていないことがわかります。外観のみならず、山小屋っぽくもある店内も昔のままなのです。
最近はレトロな雰囲気が女子にウケているようですけれど、いやいや、30年前からすでにレトロでしたから。それって、すごいことだぞ。
小物が無造作に並んでおり、アンバランスななかにも調和が生まれています。時間の経過とともに、ひとつひとつのものが"そこにあるべき理由"を身につけたというべきでしょうか。
店内には小さな音量でジャズが流れていて、見れば奥の棚にはCDがずらり。壁にはエリック・ドルフィー『OUT TO LUNCH』などのレコード・ジャケットも飾られていますし、ジャズがお好みのようですね。
ところで、外の看板に「自家焙煎 挽売」と書かれていることからもわかるように、ここは基本的に"珈琲専門店"なんですよ。
食べものはトースト類と、ケーキやクッキーだけだし、あくまで雰囲気とコーヒーの味を楽しむお店だということ。
ってなわけで、ひとりでお店を切り盛りしているマスターに「ほろにがブレンド」を注文しました。ネーミングがいいよね。
狭すぎず、広すぎもしない店内には数人のお客さんが。大方の予想どおり、僕を除けばその全員が女性です。
特筆すべきは、適度に距離感が保たれているため、それぞれの方が思い思いの時間を過ごしていること。
居心地がいいものね。
やがて、複数のオーダーを手際よくこなすマスターがコーヒーを持ってきてくださいました。おお、このカップとソーサーは、なんとなく見覚えがあるぞ。
飲んでみると、その名称どおりの柔らかなほろ苦さがふわっと広がります。昔ながらの味なのだけれど、昨今のサードウェーブ系コーヒーに慣れた方でも違和感なく飲めそうな味で、さすがに専門店といった印象。
なによりすばらしいのは、「変わっていない」ことがわかる味だということ。もちろん30年前の味の記憶なんか薄れてしまっているのですけれど、味わってみれば当時の記憶が蘇ってくるように思えるのです。
「30数年ぶりで来ました」
帰りがけ、マスターにお声がけしたら、「30年前か。ってことは、母と兄貴の代だな。僕は、数年前に引き継いだんでね」との返事が。なるほど、そういうことだったのね。
それにしても、うれしかったのは、そのあとのことばです。
「変わってないでしょ。変わらないようにしてんの」
簡単そうにおっしゃるけれど、それって、なかなかできることではありませんよね。
●どんぐり舎
住所:東京都杉並区西荻北3-30-1
営業時間:10:30~22:00
定休日:無休