いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。今回は、西荻窪の喫茶店「物豆奇」です。
以前ご紹介した「それいゆ」や「ダンテ」のみならず、西荻窪には昭和の面影を残す喫茶店(カフェではなく、あくまで喫茶店)がたくさんあります。しかも時流に流されることのない個性派揃いなのですが、なかでも僕にとっては思い出深いのが、今回ご紹介する物豆奇(ものずき)です。
北口駅前から、東京女子大方面へ数分進んだ左側。西荻北中央公園の真正面、花屋さんの隣という絶好のロケーションですが、それ以上に魅力的なのはこのお店のたたずまいです。
間口が狭いので気づきにくいのですが、少し距離を開けて公園側から見てみると、とても立派な建物であることがわかるのです。こういう建物って、いまの時代ではなかなか建てられないんじゃないかな。
45年の時を経ても変わらぬ店内へ
そして足を踏み入れれば、そこでまた感動することになるはず。飴色になった太い木材が組まれた店内には、まるで時が止まっているかのような空気感があるから。
実をいうと、今回お邪魔したのは25年ぶりくらいだったのですが、当時とまったく変わっていません。
「そう、まったく変えてないから」とおっしゃるマスターによれば、オープンから45年目なのだとか。45年前といえば1975年ですが、つまり僕が中学生のころに開店したということだな。びっくり。
そういえば、まだたばこを吸っていた25年前には印象的なことがありました。もらったマッチ箱を開けてみたら、並ぶマッチ棒の上に1粒だけコーヒー豆が入っていたのです。
センスのよさに感心したものですが、テーブルに灰皿はなかったので、どうやら現在は禁煙のようですね。それも時の流れか。
ちなみに「時が止まっているかのような雰囲気」だと書きましたが、ある程度滞在していれば、決して時間は止まっていないことがわかります。店内の壁や柱で時を刻み続けているたくさんの柱時計が、1時間に1回、一斉に鳴りはじめるからです。
この日はお昼少し前に伺ったので、タイミングよく12時のお知らせを聞くことができました。
天井からランダムに下がるランプシェード、小さめの音量でクラシックを暖かい音で流してくれるスピーカー、あるいは額縁やレジスター、太い木で組まれた囲炉裏など、見渡してみれば古いものばかり。
でも当然のことながら、それらすべては45年前から同じペースで同じ時間を経てきているわけです。新しいものが加えられたりしていないからこそ、この雰囲気になっているということ。
古くていいものがどんどん壊され、新しくなっていくのが現代です。もちろん新しいものにもそれなりの快適性はありますが、どれだけお金をかけたとしても「時間」を再現することは不可能。そんなところに、このお店の存在価値があるのだと思います。
なお、「時間」を感じさせてくれるのはインテリアだけではありません。
個人経営の喫茶店の技量がわかるのは、なんといってもブレンドコーヒー。ということでブレンドをお願いしたのですが、スッキリとしていて、でも奥のほうにコクを感じさせる味わい。
うん、25年前もこんな味だった。昔から、お店にとっての"基本"をきちんと守り通してきたんだなということが、はっきりわかるのです。
慌ただしい日常を送っていると、「なにかしていないと落ち着かない」ような気分になってしまったりします(少なくとも、僕はそうです)。
でも考えてみると無駄な時間なんてなくて、こういうお店でゆっくり本を読んだりすることも、それはそれでとても大切なことなんだよなあ。と、本のページをめくりながら、忘れかけていたことを思い出したりもしたのでした。
●物豆奇
住所:東京都杉並区西荻北3-12-10
営業時間:11:30~21:00
定休日:不定休