いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。
今回は、阿佐ヶ谷のおそば屋さん「松月庵」をご紹介。
小上がりと思ったら……?
阿佐ヶ谷駅を北口に出たら中杉通りをそのまま進み、モスバーガーのある交差点を左折。すぐ見える「あさが家」というラーメン屋さんの角を右に曲がると、そこが松山通りです。
この通りに関しては、かなり進んだ先にある「コンコ堂」という古書店がお気に入りなんですよ。でも今回ご紹介したいのは、もっと手前の右側にたたずむ「松月庵」という名のおそば屋さん。
いつも賑わっている近くの「ジェラテリア シンチェリータ」というジェラート屋さんを尻目に、何十年も変わらないのであろうスタンスを貫き通しているようなシブい店です。
松山通りは毎週必ず通るほどなじみ深いのですけれど、ここはずっと気になりつつも、なかなか入ることができなかったんですよねー。その風格が高いハードルになっていたといいますか。
でも考えてみると、商店街のおそば屋さんのハードルが高いはずはないのです。その証拠に、平日のお昼前に通りかかったら、お店の方とおぼしきお婆ちゃんが、隣のお寿司屋さんのお爺ちゃんと立ち話をしていたりします。
商店街の日常的な風景ですよね。ってことで、立ち話がタイミングよく終わったこともあり、この際お邪魔してみることにしたのでした。
「営業してますか?」
「やってますよ、いらっしゃいませ」
先に入っていったお婆ちゃんに続き、さっそく足を踏み入れます。
店内は左側に4人がけのテーブル席が3つ並んでいて、ぶっちゃけお客さんが座れるのはそこだけ。右側には小上がりがあるのですけれど、実質的にそこは日用品置き場になっているからです。
小上がりのテーブルにはティッシュペーパー、除菌スプレー、書類、眼鏡ケース、筆記用具などが所狭しと並び、かたわらにはケルヒャーのスチームクリーナーの箱。壁際には、昨年以前のものと思われる鯉のぼりが何本か立てかけてあったりもします。
端的に表現するなら“リアル家庭の延長”であり、その一画だけに限っていえば、もはや店とは呼べないほどの生活感。なのに、なぜだか不快感はありません。図らずも不思議ワールドに迷い込んでしまったようで、思わずニヤッとしてしまうような感じだといいましょうか。
メニューを眺め、なににしようか迷ったあげく、「おそばの部」のなかから「あんかけ」をチョイス。お水を持ってきてくださったお婆ちゃんに注文しました。
とくに理由めいたものがあったわけではないのですが、考えてみるとおそば屋さんであんかけそばを頼んだことってなかったんですよね。そもそも、視界に入らないくらい存在感のないメニューだからでしょうか? ところがこのお店独特の環境に身を置いた結果、なんとなくそれに心を奪われてしまったのです(いや、別に心奪われてはいないけど)。
なお、正面奥が厨房になっていて、そちらはお爺ちゃんがご担当の様子。お婆ちゃんが注文を伝えたあと、調理が始まった様子が伝わってきます。
それにしても、やっぱり風変わりな空間です。店内の中央でニュースを映し出すテレビを境にして、右側の小上がりと左側のテーブル席とでは流れる空気が完全に別なのですから。ちなみにテーブル席にはアクリルの間仕切りが立てられており、コロナ対策もバッチリ。そしてよく見ると、壁には張り紙がありますねえ。
「水は命のエネルギー 水の差は、味の差! 当店は全ての調理・飲料水に今話題の活性水素水 アルカリイオン水を活用しております 店主」
なるほど、こだわりをお持ちなんですね。でも、そのメッセージの右側に綾小路きみまろをモデルにしたイラストがレイアウトされているあたりは謎です。
さて、ほどなく登場したあんかけそばの第一印象は、「黒い……」でありました。厳密にいえばこげ茶色なのですけれど、いかにも濃厚そうなあんで表面が覆われていたからです。具材はなると、お麩、かまぼこ、ねぎ、小松菜など。つまり、おかめそばのそれに近いかもしれませんね。
味ですが、いかにも濃そうなつゆは意外やスッキリしており、しつこさは皆無。当然ながらそばにコシはありませんけれど、いつも書いているように町場のおそば屋さんはこれでいいのです。こうでなくてはいけないのです。
いたって普通で際立った特徴があるわけではないとはいえ、それこそが昔ながらのおそば屋さんに求めたいものなのですから。
●松月庵
住所:東京都杉並区阿佐谷北4-7-5
営業時間:11:00~17:00
定休日:不定休