いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。
今回は、三鷹のおそば屋さん「味多香庵」をご紹介。
88年目の老舗蕎麦屋さん
三鷹駅南口を出て中央通りを直進し、右側にマクドナルドがある「三鷹駅前」交差点を左折したら、そこから先が「さくら通り」です。飲食店などが並ぶ、片側1車線の小さなバス通り。
そのまま進んで「コミュニティプラザ西」交差点を過ぎると、すぐ左側に地味な外観のおそば屋さんが現れます。そこが、今回ご紹介する「味多香庵」。
いきなり地味だと決めつけちゃいましたけど、ベージュの壁を帰蝶とした建物には目立ったところが少ないのです。そのため、かかるのれんに気がつかなければ、うっかり通り越してしまうかもしれません。
けれど、そんなたたずまいが魅力であることもまた事実。それに、実は1934(昭和9)年以来の歴史を持つ老舗でもあるんですよ。ってことは、今年で88年目ですね。それだけの歳月をくぐり抜けてきたというのは、本当にすごいこと。
しかも伝統に寄りかかることなく、町場のおそば屋さんとして地道に営業を続けられているのです。それって、なかなかできることではないはず。
と感じていただけに、三鷹に住んでいたころからなにかと気になるお店ではあったのです。
店内は三角形の変則的なつくりになっていて、入って右側に4人がけのテーブルが3卓、左奥にも2卓があります。厨房はその向こう側。僕はひとりだったので、入り口左側の2人用席へ。
ところで、この日にここを選んだのは、油っこくなくサッパリとしたものを食べたかったからなんですよ。お正月はコッテリ続きだったし、そうなると、やっぱりおそばが恋しくなるじゃないですか。
だから余計にうれしかったのは、テーブルの片隅に「本日の日替わりセット みぞれとじゃこゴハン」と書かれたプレートが立てられていたこと。「みぞれ」ということは、大根おろしのおそばでしょうか? しかも「じゃこゴハン」との組み合わせって、まさに望んでいたサッパリ路線。ってことで、迷わずこれをお願いしました。
なにしろ老舗ですから、店内は現代風ではありません。でも、それがいいのです。掃除が行き届いていて清潔感があるし、そこに身を置いているだけで落ち着けるような雰囲気。若いご主人がひとりで切り盛りされていましたが、きちんとした性格が伝わってくるような心地よさなのです。BGMがボサ・ノヴァなのはちょっと意外だったけれど、それもご主人の趣味なのかな?
ランチタイムのピークを過ぎたであろう13時すぎの店内は、僕の他に男性客がひとり。あとから老齢のご婦人がひとりで入ってきましたが、各人が自分の時間を楽しんでいるような印象。
さて、木製のトレイで運ばれてきた「本日の日替わりセット」は、期待どおりのルックスです。温かいおそばは大根おろしと三角形の海苔、そしてかいわれ大根が載ったシンプルな構成。「みぞれとじゃこゴハン」も多過ぎず少なすぎもしない適量で、これまた食欲をそそります。そうそう、まさにこういうものを求めていたんですよ。
おそばは典型的な“町場のおそば屋さんのそば”で、濃いめのつゆとの相性も文句なし。つまりは、いい意味で普通。なにか強烈な印象があるわけではないけれど、そこがいいのです。似たようなことをいつも書いているような気もしますが、こういう普通のおそばって飽きないじゃないですか。だから、ひとくち食べ進めるごとにホッとできるのです。
で、おそばの合間にときどきじゃこゴハンをいただくと、これがまたいいアクセントに。「あの……一応、僕もここにおりますんで……」という感じでひっそりとたたずんでいた白菜の漬物を添えると、さらに味わいが引き立ちます。
いやー、ここはいい店だなあ。ひとりでも落ち着けるし、家族や友人とお邪魔したとしたら、それはそれでまた楽しそう。奇をてらったことをしていないから居心地がいいわけで、88年も続いてきた理由がよくわかります。
なんというかな、目立たないかもしれないけれど、町に絶対に必要な、いつまでもあり続けてほしいお店なんですよね。
なお帰りがけに店主さんが、「どうぞ」と小さな箱を差し出してくださいました。開けてみたら、なかには七味唐辛子。お邪魔したのは1月中旬だったのですが、お年賀ということですね。そんなちょっとした気遣いすらうれしい気がして、とても温かい気持ちになれたのでした。
●味多香庵
住所:東京都三鷹市下連雀3-16-11
営業時間:11:00〜20:30(L.O)
定休日:火曜日