コロナで壊滅的打撃を受けたフィリピンの語学学校たち

2020年2月、私はフィリピンのセブ島にいました。

コロナが世界を席巻するギリギリ手前まで、とある中学校&高校の団体英語研修のコーディネート役として、現地にいたのです。

思えば2020年1月頃の段階のメディアでは、「中国でどうやら新種の風邪ウイルスのようなものが流行っているようだ」ぐらいの温度感から、一気に1ケ月で世界を呑み込んでいったのがコロナでした。

私自身は2月に各国のロックダウンが始まるギリギリの手前で日本に帰国。そこから日本人のみならず、世界中の留学自体が全面停止状態になったのです。

冬の時代どころか、前代未聞の氷河期に突入しました。

私たち、留学エージェントもそうですが、海外現地の教育機関/語学学校もサバイバルを余儀なくされます。

フィリピンの学校側は校舎はもちろん、宿泊施設、食堂施設なども抱えるため、ローカルスタッフも多く雇用しています。それ故に非常に苦しい時期を過ごすこととなりました。

コロナパンデミック初期は、「半年ぐらいすればきっと状況は変わってくるはず」と誰もが祈りに近い願望だけを抱いていましたが、結果として世界の混沌は約3年も続くことになりました。

フィリピンに限らず、世界中の語学学校や留学エージェントは、この3年間は本当に耐え忍ぶ時期が続くことになったのです。

私が知る限り、コロナ禍以前のフィリピンには日本人や韓国人の語学学校が100校近くありました。

この記事を執筆している2023年2月現在でも、約半分は未だに再開していません。

また、オープンしていない学校の7割はすでに学校をクローズする判断をし、残りの3割はタイミングを見計らって再開の準備を進めている学校になります。特に日系資本の語学学校の多くがコロナ禍で無念の撤退となりました。残っている学校の多くは韓国系資本の学校です。

そもそもフィリピン留学とは何か

さて、ここでフィリピン留学のことをあまり知らない読者の方のためにも簡単にフィリピン留学の歴史を説明させてください。

1997年のアジア通貨危機により、韓国経済が傾いた際、「これからは外需を取りにいかなくてはならない。グローバル化が急務!」と韓国の大企業の意識が変わりました。

経済界の意識が変わると、当然起こるのは就職活動や転職活動における採用要件の変化。韓国では1997年以降、実務レベルで英語を使いこなせる人材が急務となったため、英語習得熱が加熱していきます。

語学習得にもっとも効率的な手段といわれる留学ですが、当時はアメリカやイギリスでの留学費用がかなり高いことから、簡単に子どもが留学できる家庭はそう多くはありませんでした。

そこで注目されたのが東南アジアの英語公用語国であるフィリピンだったのです。

※フィリピンは1900年から約40年間アメリカの統治下にあり、英語公用語化が始まった背景がある。小学校から授業を英語で習うため、大卒フィリピン人は非常に流暢な英語を扱う。

当時、フィリピンで英語を学ぼうとする人はほぼ皆無でした。そこに先駆者である韓国の人たちが観光地として有名だったセブ島やバコロド、イロイロ、マニラ、バギオ、クラーク、ダバオなどに破竹の勢いで語学学校を設立していったのです。

フィリピン留学の特長は、物価も人件費も低価格なフィリピンだからこそできる、マンツーマンレッスンが最大の魅力です。

毎日平均5~7時間のマンツーマンレッスンを受けるのが一般的で、欧米の他国での留学ではあり得ないスタイルです。

そして宿舎は校舎と一体型の合宿所スタイルで、食事も3食提供。部屋の掃除や衣類の洗濯も週2回無料で実施してくれる。至れり尽くせりの留学環境が多いのです。

※欧米は基本的にはグループレッスンです
※学校によってサービス提供内容に微妙に違いはあるため要注意

  • セブ島の語学学校校舎の外観

  • 語学学校のマンツーマン教室の様子。向かい合う形式と横並び形式がある。

  • 食堂の様子。3食ビュッフェ形式で提供されるのが一般的。

  • 二人部屋の様子。この数年で居住環境もグレードアップされつつある。

コロナ禍前は日本人留学生数でイギリスを抜いたフィリピン留学

欧米に比べて安価にマンツーマンレッスンを多く受けられるため、スピーキング初級者にはもってこいの留学地となり、フィリピン留学は韓国での2000年代ブームの後、日本でも2011年頃からブームを迎えました。

手前味噌ですが、私が執筆出版した『フィリピン「超」格安英語留学』(東洋経済新報社)が世の中に出たのも2011年夏であり、微力ながら貢献できたと感じています。

2011年時点でいうと、フィリピン留学の語学学校は基本的にほぼ韓国人経営者が設立していたものでしたが、日本でも流行してすぐの2012年頃から日本人経営者もフィリピンに語学学校を設立しはじめるように。

コロナ禍前ではフィリピン留学全体で100以上ある語学学校の中でも、おおよそ30校近くが日本人経営の語学学校が存在しているほどに成長産業となっていたのです。

大手留学エージェントが加盟する業界団体JAOS(海外留学協議会)の統計データによると、2017年にはフィリピン留学への日本人留学生数がイギリス留学を抜いたのですが、これは業界内では大きな話題となりました。

業界内でもアメリカやイギリスなどの伝統的な留学先を中心にしていた留学エージェントからは、フィリピン留学は正直軽視されている部分があったのですが、意識変革をもたらしたのではないかと思います。

日本人の新たな英語留学地として、確固たる地位を築きつつあったフィリピン留学。

日本人経営の語学学校はもちろん、韓国人経営の語学学校も増加する日本人の需要に応えようと日本人向けのサービスに注力するようになってきていました。

韓国人、日本人以外にも台湾人、ベトナム人、ロシア人、中東諸国からの留学生が徐々に増えてきて、フィリピン留学もいよいよ多国籍化してきて更なるステージへと意気揚々と語学学校経営者たちも張り切っていたところで、あの日がやってきたのです。

そう、2020年3月のコロナ影響による、フィリピン政府のロックダウンです。

著者プロフィール:太田英基

1985年生まれ、宮城県出身。大学在学中に広告事業「タダコピ」を手掛ける株式会社オーシャナイズを起業。退職後はフィリピン留学を経験し、世界50ヶ国を旅してきた。2013年に株式会社スクールウィズを立ち上げ、英語学習サービスGaribenやリモートワーク留学などを提供している。