これまで日本で開催された国際博覧会といえば、1970(昭和45)年の大阪万博をはじめ、1975~1976年の沖縄海洋博、1985年のつくば博、1990(平成2)年の花博、2005年の愛・地球博などが挙げられます。今回はその中でも、「昭和最後のEXPO」つくば博にまつわる鉄道の思い出を書いてみたいと思います。

「遠くへ行きたい」「新幹線に乗りたい」から始まった18歳の旅

1985(昭和60)年の夏。当時まだ18歳で、社会に出て間もない筆者は、夏期休暇を使って、ちょっと遠くへ行きたくなりました。できることなら、行きは新幹線に乗って、帰りは噂の「大垣夜行」で……。考えた結果、ちょうどその年に茨城県で開催されていたつくば博を見に行くことに決めました。

新大阪駅から東海道新幹線0系で東京へ向かった(写真はイメージ)

18歳というと、ほんの少し前まで高校に通っていた年齢です。筆者にとって、このときがほぼ初めての1人旅だったと記憶しています。新大阪駅から乗った新幹線は0系でした。座席はもちろん、富士山の見える窓側のE席です。あいにく小雨まじりの天気でしたが、車窓からは、米原あたりの田園風景が吹っ飛んでいくのが見えました。新幹線に乗ること自体は初めてではなかったものの、やはり尋常じゃない速さを感じました。

米原付近を通過したところで、高校の友人・N君のことを思い出しました。彼はアニメ好きで、東京で開催されるイベントにどうしても行きたくて、新大阪駅から入場券だけで新幹線に乗ったそうです。トイレに隠れて検札をかわす作戦でしたが、当然ながら途中で見つかってしまい、大阪に連れ戻されることになりました。「たしか、彼が『捕まった』場所が米原だったな……」、景色を眺めながら、そんなことを思い出していました。

新幹線の車内販売のアイスクリームは、普段あまり見かけないスジャータです。気分が高揚していたこともあって、即購入。食べてみたら本当においしくて。以来、新幹線に乗ると必ずこれを食べるようになりました。

途中で大人に連れ戻されるとか、そんなハプニングもなく(当たり前)、無事に東京駅に到着。それからまず千葉へ向かいました。母の古い友人が千葉に住んでいて、そこへ泊めてもらうという話になっていたのです。駅前にあったラオックス(関西にはなく、このとき初めて見ました)のところまで迎えに来て、これまた無事に母の友人の自宅に到着。歓迎を受けた筆者はその晩、ぐっすりと眠りました。

つくば博の会場では"未来の乗り物"を体験して…

翌日は早朝からつくばへ向かいました。具体的にどの列車に乗ったか、すっかり忘れてしまったのですが、窓の外の景色がやたらに広いというか平たいというか……、このまま東北地方まで行ってしまうんじゃないか!? とさえ思ったことが記憶に残っています。

会場への最寄り駅(たぶん万博中央駅)からは、国内初という連結式バスで移動しました。「このバスを運転するには、普段あんまり聞かないような運転免許証が要るんやろな~」なんて考えているうちに、気がつけばつくば博の会場に到着していました。

つくば博の開催から30年近く。会場でもらった記念アルバムが自宅に残っていた

つくば博の会場内をどんな感じで回ったのか、あまり記憶に残っていません。おそらくは炎天下、ただでさえ浮かれ気分だった筆者の頭は、暑さに負けてほぼ機能していなかったのだと思います。とにかくいかにも未来っぽい会場だったのは、なんとなく記憶に残ってるのですが(万博だから当たり前なのですが)。

それでもひとつだけ、はっきりと記憶しているものがあって、それは「HSST」、いわゆるリニアモーターカーです。会場内に数百メートルほど線路が敷いてあって、ちゃんと磁気で浮上しながら走るのです。

「HSST」に乗りたいがために、散々待って、乗り込んで、座って、そして「いまから浮上します」というアナウンス。あまり実感がわかないものの、そう言われると微妙に浮いているような気がしました。その後、ほとんど何の音もなく、「すぅーっ」と動き始めたかと思えば、すぐに終点……。ただそれだけのことでしたが、「いままさに自分は未来を体感したんだ!」という感動で、ひとり気分が高揚していたのでした。

お土産は当然、「コスモ星丸グッズ」で決まりです。いまだと「ゆるキャラ」という位置づけになるのでしょう。当時にしても、そのあまりにもあんまりな(?)ネーミングセンスが大いにウケていて、「コスモ星丸」のお土産は大人気でした。

さて、つくば博からの帰りは、いよいよ憧れの「大垣夜行」に乗ることになったのですが、そのときのエピソードはまた次の機会に。