昔は貝がザクザク採れたらしい
神奈川県西部、平塚の相模川河口から大磯へかけての海岸線。今はサーフィンや投げ釣りをする人たちが集まっているが、昔は潮干狩りを楽しむ家族連れも多かった、という話を耳にしたことがある。
ちなみに、潮干狩りではないが、番外地ではかつて岩牡蛎もとれた。ぼくが幼いころによく遊んでもらった近所のじいさんは「オレしか知らない場所に潜ると、海の中に大きな岩がゴロゴロしていて、夏になるとおいしい岩牡蛎がたくさんとれるんだよ」と、よく得意気に語っていた。実際に岩牡蛎をどっさりもらったこともあった。
しかし、そのじいさんは「お前が潜れるようになったら、その場所を教えてあげるからな」と言っているうちに亡くなってしまった。それからもう30年近く経っているから、じいさんの秘密の海中岩礁地帯は、さぞかし岩牡蛎でいっぱいになっていることだろう。
さて、なぜ潮干狩りの話をしたのかというと、最近また貝がちらほら採れている、というウワサを耳にしたからだ。毎朝のように大磯の海へ繰り出している知り合いのサーファーに電話してみたら、「たしかに、潮が引いている時を狙って何人か来ているみたいだよ。どのくらい採れているのか、わからないけど」と言っていた。
昔からずっと二宮町の浜辺で釣りをしてきたし、今でもビーチコーミングがてら砂浜を歩くが、生きている貝を見つけたことは一度もなかった。いまだに体験したことがない潮干狩りに対する好奇心と、とれたてのアサリで作るボンゴレ・ビアンコを頬張ってみたいという食欲が、ぐいっと背中を押した。よし、大磯の海岸を歩いてみよう。インターネットで潮汐表を見ると、ラッキーなことに翌日が、ちょうど大潮の時期だった。最も潮が引くのは午前9時40分ごろなので、その前から浜辺を訪れてみることにした。
スコップ片手に釣りエサを探す人も
翌朝。サーファーたちが波間に浮かぶ遠浅のビーチへ行くと、左手にバケツ、右手に大きなスコップを持ったおじさんが、水辺をウロウロしながら何やら探していた。おお、あの姿は潮干狩りか。
しかし、先日テレビで見た潮干狩り家族は、スコップではなく熊手、バケツではなく網を持っていたような気がする。それならば、このおじさんはいったい何を……そんなことをうだうだ考えているよりも、さっさと聞いてしまえオレ。
「おはようございます、何をとっているんですか?」と話しかけてみる。「釣りのエサだよ」。以上で会話終了。無口な人らしいので、こちらも黙って、その作業をしばらく観察することにした。
おじさんは波がサーッと引いた後、砂上にできる小さな穴をチェックし、あぶくの出ている穴を見つけると、そのまわりの砂ごとザックリとスコップですくいとった。その塊を少しずつ崩すと、なんと中からジャリメ(別名イシゴカイ)のような多毛類の生物が出てくるではないか。
赤いバケツを覗かせてもらうと、まだ2匹しか入っていなかった。あまり効率の良い漁(?)ではないようだが、おそらく市販のジャリメや青イソメよりも、ワンランク上の釣果が期待できるエサなのだろう。
やや離れた海の中に、白い帽子をかぶったおじいさんの姿が見えた。かがみ込みながら水中でゴソゴソと熊手らしき道具を動かしている。今度こそ潮干狩りに違いない。
靴と靴下を脱いで、ジーンズを膝までまくりあげて海へ入る。短パンや水着で本格的に潮干狩りにチャレンジするのは、次回の楽しみにとっておこう。まずは本当に貝が採れるのかどうかを確かめなければ。
果たしてプチ潮干狩りの収穫は
またしても無口な人かもしれないな、なんて思いつつ、恐る恐る挨拶してみると、おじいさんはニッコリ笑って挨拶を返してくれた。「潮干狩りですか?」「そう、あんまり採れないけどね」。そう言いながら、採ったばかりの貝をひとつ差し出して見せる。大ぶりなアサリ?それとも小さなハマグリ?
それは通称イシハマグリという貝で、正式にはコマタガイという種類らしい。そうかアサリではないのか……ボンゴレ・ビアンコの夢は遠ざかってしまったが、イシハマグリ・ビアンコでも全然かまわない。本当に貝が採れる、番外地の海で潮干狩りらしき遊びができる、それだけでも素晴らしいことなのだから。
「今日は1時間やって20個くらいかな。昔は平塚の海でこれがいっぱい採れたもんだよ。何しろ大潮の時なんか、砂を掘らなくても歩いているだけで、すぐにバケツ一杯くらい拾えたんだから」と、おじいさん。
「熊手がないんですけど、手で掘ってもダメですかね?」と聞いてみる。すると彼は腰を回してみせながら「そういう場合はツイストだよツイスト!」と言った。なるほど、波打ち際に立って腰を左右にクネクネ動かすと、両足が砂の中へズンズンめりこんでいく。そうしながら、足の裏で貝を探すのがコツらしい。
早速、名人直伝(?)のツイストをしていたら、白っぽい貝がひとつ、足の下からヒョッコリ出てきた。すかさず記念撮影。おじいさんに見てもらうと、たしかにイシハマグリとのこと。「おお、いきなりとれましたね!」なんてコーフンしていたら、「もうオレに貝の名前を聞くなよ、どのみちイシハマグリしか採れないんだから」と笑われてしまった。
しかし、この朝1時間ほどツイストをした成果は、先ほどのイシハマグリ1個のみ。結局、ビギナーズラックだけで終わってしまったが、潮風を浴びながら過ごしたひとときは、とても気持ちよかった。潮干狩りにしても山菜狩りにしても「自分で口にする食材を自分の力で探し出す」という行為は、なぜこんなにも楽しいのだろうか。
たとえ1個でも獲物は獲物、収穫は収穫。家に持ち帰り、茹でて醤油をチラリたらして食べてみたら、これが甘いのなんの。その瞬間、ぼくは決意した。次の大潮がやってくるまでに熊手を買っておこう、と。