刺身のツマは浜辺にあり?

「昔はそのあたりの浜に下りれば、いくらでもとれたもんだよ」という話を、地元の魚屋のオヤジさんから聞いたことがある。刺身にツマに利用されるハマボウフウという植物のことを話していた時のことだ。

若葉に近い、小さくてやわらかなハマボウフウの葉

番外地エリアの魚屋にしては珍しく、オヤジさんはハマボウフウの葉を頻繁に使っていた。大皿で刺身の盛り合わせを頼んでも、大根の千切りに海藻、パセリ、穂ジソなど定番のツマ類をゴチャゴチャ組み合わせて…なんてことはせず、シンプルに大根とハマボウフウのみ、という潔いスタイルを貫いていた。

そして、この魚屋ではイカやエビ、アジなどの天ぷらも名物だったのだが、なぜかハマボウフウも同じように揚げて売っていた。最初に見たときは「刺身のツマを揚げるなんて…」と思ったものだが、「まあダマされたと思って食べてみなよ」とオヤジさんにすすめられ、頬張った途端に、ヒトメボレ。

後日、家族には内緒にしていたが、このハマボウフウ天を1ダースくらい買って、ひとりでこっそり食べたこともあった。クセのある独特の香りが天ぷらの胡麻油と絶妙なハーモニーを奏で、ビールの肴にもぴったりだった。

しかし、この魚屋はある時から天ぷらを揚げなくなり、それが原因というわけではないのだが、我が家が買い物に行く機会も減ってしまった。だからハマボウフウを口にしなくなって、もう2年くらい経つ。

そういえばあのハマボウフウおいしかったな、今日は時間があるから自力でハマボウフウを探し出して食べてみようかな…なんてことを唐突に思い立ったのは、5月中旬のとある朝。「昔はそのあたりの浜に下りれば、いくらでもとれたもんだよ」というオヤジさんの言葉が、頭の中で渦巻いていた。

記憶の奥に咲いている白い花

そうと決まれば行動は早い。まずはインターネットでハマボウフウのことを調べてみる。分布地は全国の海岸。ふむふむ。砂丘に自生し、5月から6月にかけて小さな白い花がたくさん咲く。ふむふむ。ということは今の時期こそ、まさに開花シーズンなのかもしれない。

植物学的にはセリ科ボウフウ属、これとは別に本家本元のボウフウという植物があり、こちらは正月のお屠蘇や漢方薬に使われている。とくに風邪の解熱や鎮痛に効くことから、「防風」という名前が付けられたという説もあるそうだ。

ハマボウフウの別名は「八百屋防風」。かつては八百屋でも売られていた高級野菜で、ワンランク上の刺身に用いるこだわりのツマとして、あるいは正月の雑煮のあしらいとして、昔も今も日本料理には欠かせない食材だという。

そして、インターネットで調べれば調べるほどに、この植物が全国的に減少傾向にあることがわかった。例えば同じ神奈川県内の三浦半島では、もはやほんの数カ所でしか見られない、と書いているウェブサイトもあった。

四輪駆動車やサンドバギーが入り込める砂浜などで、環境破壊がじわじわと進んでいることも一因なのだろう。ハマボウソウをはじめ海浜植物は、そんな環境レベルをはかるバロメーターでもあるのかもしれない。

ネットによる事前調査は終了、いよいよ実際に歩いて探してみることにする。天気もよいことだし、番外地の海辺を端から端まで歩いてみよう。

ぼくには「絶対どこかにあるはず」という妙な確信があった。魚屋のオヤジさんの言葉もその理由のひとつだが、実は、ぼく自身も何となく覚えていた。幼いころに砂浜を散歩していて、白い花々を見かけたことを。

生はパセリ、茹でると明日葉

浜辺を歩く。もちろん、ただ歩くだけではなく、いつものようにカメラを片手に、ビーチコーミングを楽しみつつ。首が痛くなるくらい下を向きながら歩いた甲斐あって、今回もいろいろ面白い漂着物に出合ったが、それはまた後日あらためてご紹介するとしよう。

歩きはじめて間もなく、なにやら小さな花が密集するエリアに遭遇した。近寄ってみると、ツルナの群生地の隣に、朝顔のようなピンクの花がたくさん連なっている。ハマボウフウと同じ海浜植物のハマヒルガオだ。砂浜を彩った可憐な花たちは、初夏の訪れを告げるベルを鳴らすかのように潮風に揺れていた。

番外地の砂浜なら、どこへ行っても見かけるツルナ。生は酸っぱいが、茹でるとクセのない味わいに

ツルと丸い葉が印象的なハマヒルガオ。直径5cmほどのかわいらしい花がつく

のんびり3時間ほど歩いたところで、ついにハマボウフウが生えている場所を発見。記憶の中で咲いていたとおりの白い花々が、目の前に佇んでいた。いやあ本当にあったのか、こんなところで生き延びていたのか、とジンワリ熱い思いがこみ上げてくる。

ハマボウフウの地上部は高さ5~30cm、根はその10倍以上の長さとか

ハマボウフウの葉を収穫するならば、白い花が咲く前の若葉や若芽が理想的らしい。しかし、もうすでに咲いてしまっているので、少しでもやわらかそうな葉を選び、生のままかじってみた。根を掘り起こさないように、葉だけを摘みとるようにして。

その風味を知り合いは「明日葉(あしたば)に似ている」と表現していたが、明日葉というよりはパセリに限りなく似ている。これを刻んでパスタなどに黙ってしのばせたら、食べた人はおそらくパセリだと錯覚するだろう。

帰宅後、葉をちぎって生のままハムと一緒に挟み、サンドイッチを作った。さらに、細かく切ってそうめんの薬味として利用したり、軽く茹でておひたしを作ったり。サンドイッチはやっぱりパセリのようで大成功、そうめんの薬味はそのパセリ風の香りがツユとまったく合わなくて失敗。

最も驚いたのは、ハマボウフウを茹でると明日葉のような香りを放つようになり、先ほどの「明日葉に似ている」という言葉の意味がわかったこと。なるほど、そういえばハマボウフウと明日葉は、どちらもセリ科ゆえ、似ていて当然なのかもしれない。

このおひたしが、あまりにおいしくて、天ぷら用にとっておいた分まで茹でて食べ尽くしてしまった。近々もう一度、採りに行かなければ。それにしてもハマボウフウがこれほど豊かに残っている砂浜なんて、番外地どころか湘南エリアでも、かなり稀少な存在に違いない。

茹でておひたしにしたハマボウフウ。オイスターソースを加えて肉と炒めても美味

まぐろのブツ切りにハマボウフウを添えるだけでも高級感アップ!?