江戸時代の旅人に愛された小田原名物

JR小田原駅の南口に降り立つと、何軒か連なった土産店の看板が目に飛び込んでくる。そこに書かれている文字は、昔からずっと変わらない。かまぼこ、干物、塩辛、梅干し……小田原は海辺の町なので、実際にどこまで相模湾でとれた原料が使われているかはともかくとして、魚介系の特産品が多い。

それらの特産品の中に「梅干し」が含まれていることを意外に思う人もいるかもしれない。しかし、関東地方では、少なくとも神奈川県では「梅干しといえば小田原」ということになっている。今からおよそ600年前、戦国時代の兵食として作られるようになったのが、小田原の梅干しのはじまりで、北条氏が治めた城下町には、梅の実をとるためにたくさんの木が植えられていたそうだ。

江戸時代になると、腐敗を防ぐため弁当に入れたり、水がない時に喉の渇きを癒したり、疲労回復に役立ったりと、梅干しは東海道を行き交う旅人たちの必需品となった。江戸から西へ向かう旅人は、宿場町小田原で名物の梅干しを入手してから、"天下の険"である箱根越えに挑んだという。

現在、小田原市東部に広がる曽我地区で栽培されている梅の木は、その数3万5,000本にも達する。観賞用の品種とは違うので単純に比較はできないが、あの梅で有名な水戸の偕楽園でさえ約3,000本だから、曽我地区の梅林はその10倍以上のスケールということになる。

国府津の高台から見た曽我の梅林(手前の茶色い部分が別所地区)。梅の花は2月16、17日あたりが見ごろだ

水戸の偕楽園などは梅の花を楽しむための空間だが、曽我の方は、梅干し用あるいは梅酒用の実を収穫するために「十郎(梅干し用)」「白加賀(梅酒用)」「杉田、南高(どちらも梅干し&梅酒兼用)」などの品種を揃えた、文字通りの梅林。そんな梅林の開花シーズンに合わせて毎年行われているのが、40年以上の歴史を持つ「小田原梅祭り」だ。

広大な梅林が丸ごと一般公開される1カ月

2008年度の「小田原梅祭り」は、2月2日から29日まで。我が家はいつも車で曽我地区まで見物に行くのだが、駐車スペースを探すのに時間がかかるので、今年は電車で出かけることにした。

JR二宮駅から隣の国府津駅までは東海道線を利用。国府津駅で乗り換えて、1時間に1、2本しか運行していない御殿場線に揺られながら、ひとつ先の下曽我駅へ。車両の多いタイプもあるようだが、この日ぼくらが乗ったのは、2両編成のローカル線ムードたっぷりな列車だった。

国府津駅から下曽我駅までは時間にしてわずか6分程度だが、車窓からは相模湾や富士山が見える。ぼくのまわりにいたハイカーたちは慌ててカメラを取り出し、車窓に向けてシャッターを押していた。

下曽我駅に到着し、まずは曽我歩きのガイドマップをもらうために、すぐ近くの梅の里センターへ。1階には、2007年度の梅干しコンクールに参加した梅干しが展示されていた。コンクールの審査員は、味わい、香り、大きさ、色合い、形、弾力性などを細かくチェックするとのこと。県知事賞や市長賞に輝いた梅干しも間近に見ることができたが、さすがにおいしそうなオーラを放っていた。

(上)下曽我駅前ではターミナルに面した商店が干物やみかん、和菓子などを販売
(右)梅の里センターでは梅干しコンクールに出品された梅干しを展示

梅祭りの舞台は、下曽我駅の北にある中河原地区と南東にある原地区、別所地区。いつも訪れている別所地区へ向かって歩きはじめると、原地区の田園地帯で流鏑馬が行われているではないか。

お店が連なる別所地区のメイン会場は縁日のような雰囲気

かつてこの地を治めた曽我祐信(曽我兄弟の養父、源頼朝の家来)が弓馬の達人だったことにちなんで毎回行われているイベントで、勇ましい北條太鼓の音が華を添える。これまで一度も目にしたことがなかったので、見物することに。

田んぼの上にブルーシートをかぶせた観客席から、富士山をバックに疾走する馬、その背で弓を射る武者姿の男女に見とれる。6歳の娘も真剣な眼差しで射手を追っていた。このごろ手品を見るのが気に入っているので、神業のような馬上の弓使いもまた新しい手品に見えていたのかもしれない。

射手の矢が的中する度に見物席から大歓声が湧き上がる流鏑馬

一足早く梅で花見をするのが小田原流

流鏑馬終了後は、梅林にテーブルやベンチが点在する原地区の中心地へ。地元JAの梅干し製品のほか、おでん、駅弁、漬け物などを販売する露店が出ていた。このあたりからは、梅林に張り巡らされた迷路のような農道を進むことになる。

梅林を横切り、小川を渡り土手を越え、10分ほど歩いたところが、3つの地区の中で下曽我駅から最も遠い別所地区のヘソ。梅ごはんや甘酒が名物の「うめの里食堂」や売店が集まった賑やかな界隈は、梅祭り全体のメイン会場でもあり、梅ジャムや梅ゼリーなどの農産加工品、梅の鉢植え、苗木なども売られていた。

今回は弁当を用意する時間がなかったので、親子3人分の食べ物を露店で買い込み、富士山を眺めながら梅林内でささやかなランチを楽しむ。和歌山などほかの梅林の事情はわからないが、曽我では梅祭りの期間中、梅林へ立ち入ることを禁じていない。だから、見物客は美しいしだれ梅があれば、それを見るためにズンズンと自由に梅林へ入ったり、ぼくらのように好きな木の下にレジャーシートを広げて食事をすることもできる。梅の花の香りにつつまれて、ぐっすり昼寝をしている人もいる。

曽我で生まれた品種「十郎」をはじめ、食用梅はみな白い花をつける

梅林内のテーブルを利用したりシートを敷いたりして気ままに花見を楽しめる

この日は2月とは思えない陽気だったこともあり、昼間から一升瓶を抱えて盛り上がっているようなグループが多かった。なにしろ3地区で約90ヘクタール、東京ドームに換算して約19個分にもなる梅林ゆえ、どこぞの狭い公園で周囲を気にしながら行う花見とはまったく異なり、酔客たちの歓声もすべて気持ちよく空の上へ消えていく。

その一方で、梅の枝をバキバキ折りながら木登りをしている子ども、そんな子どもを注意することなくビデオに撮って喜んでいるお気楽な親が、年々増えているのが気になる。そのうち「梅林立ち入り禁止」なんてことになりませんように、と願うばかりだ。