神奈川ウエストは隠れたそば処

巷には北海道産そばが出回り、すでに新そばシーズンが開幕しているが、神奈川県西部にある伊勢原市や秦野市、大井町、南足柄市などの山間地でも、そばの栽培が行われている。知名度は低く生産量も少ないため、地元のそば屋や家庭で消費されていて、そういう意味ではこのエリアの"地産地消"を象徴する食材のひとつと言える。

大井町と秦野市の間にある山中に広がるそば畑。天気がよければ弁当持参で雑草取りピクニック(?)も楽しそう

そういった土地柄ゆえなのか、そば屋の数は驚くほど多い。一見、看板のない普通の民家に思えるが実はそば屋、という営業形態も珍しくなく、ぼくが気に入っている伊勢原の「N」という店もそのひとつだ。

営業は週に4日のみ。テーブルが並んだ大広間の座敷に上がりこみ、注文するとご主人が台所で蕎麦を打ちはじめる。自分の畑で栽培したそばの実と丹沢の伏流水から生まれた十割蕎麦に添えられているのは、裏の畑でとってきたばかりの野菜の天麩羅。これほどこだわった天ざるを1,100円で楽しめるのだから、都内の高級そばが、だんだん縁遠くなってしまうのも仕方ない。

さて、あれはたしか8月上旬のこと。ぼくは知り合いに「"そば粒オーナー制度"というのがあるらしいんだけど、よかったら参加してみれば? 」と誘われた。いつもそばばかり食べているから、きっと興味があるに違いないと思われたのだろう。はじめて耳にしたが、そば粒オーナー制度とはなんぞや。

働いてこそオーナー、という新しい試み

そば粒オーナーに興味を持ちつつも仕事に追われて、やっと落ち着いたら9月になっていた。まずいぞ。出遅れたか。もう間に合わないかと思いながらも、「そば粒オーナー制度」を主宰する農家「ひだまり屋」の海老澤昌宏さんに問い合わせのメールを送ってみた。

海老澤さんは「食と命を考える」をテーマに、南足柄市や小田原市、開成町、そして現在の大井町と計8年間に渡って田畑を耕してきた人物。いただいたメールの返信には、そば粉オーナー制度の仕組みが、とてもわかりやすく書かれていた。

「そば粒オーナーの方には、8月の"種まき"から"雑草取り"、10月の"刈り取りと天日干し"、"脱穀とふるいがけ"などの作業のうち、2つ以上の作業に参加してもらうのが原則です。2006年は、オーナーの方に収穫から脱穀までを体験してもらったのですが、2007年は種まきから粉になって食べるところまでをすべて、ひとつの命の繋がりとして感じてもらおうという試みです。最終的には、収穫量を口数で割って、そば粒を分配します」。

つまり、みかんやりんごの木を1本いくらかで買い取るような一般のオーナー制度と違うのは、畑での作業に2回以上参加しなければ、いかにオーナーであってもそばがもらえない、ということ。8月25~28日に種まきが完了し、9月8日から雑草取りがはじまっているそうで、こうした作業を積極的に行うことで畑の収穫量もアップし、結果としてオーナー1口あたりの分配量も増えることになるわけだ。なんてシンプルで合理的なシステムだろうか。

ちなみに1口1,000円で、すでに50人ほどがオーナーになっているという。そば好きオヤジのひとりとして、自らの手でそばの実を収穫できるチャンスを見逃すわけにはいかない。

そば畑の雑草取りに出かけたものの……

オーナーになるには所定の申請書に記入して……なんて面倒なことは一切なく、メールで海老澤さんに「オーナーになります! 」宣言をすればいいらしい。それならば残る問題は、2回以上の作業に参加できるのかどうかだ。

刈り取りとか脱穀は、ほかにもたくさんの参加者がいるだろうし、どうせなら雑草抜きをやっておこうと思ったぼくは、10月8日の体育の日、長靴と軍手を持って、大井町の山中にあるそば畑に行ってみた。

朝からポツポツ降っていた雨は、現地に到着した途端に強くなったが、そこには美しい花畑が広がっていた。そばの白い花をそれほど至近距離で見たのは、はじめてだった。赤い雄しべがかわいらしい小さな花に混じって、緑色のそばの実が順調に育っていた。

ピンク色の雄しべも可憐な白い花。まだ緑色のそばの実が見える

誰もいないそば畑で、しばらく待ってみたが、雨はまだまだやみそうになかったので、カサをさしつつ何とか写真だけ撮って撤退した。

秋が深まり、朝晩が冷え込んで昼夜の気温差が大きくなるほど、そばはおいしく育つ。海老澤さんのそば畑がある大井町篠窪の峠付近は、朝もやが立ちこめるようになり、そば作りには理想的な気候となっているそうだ。

8月に行われた種まきの様子。裸足で畑を歩くのがたまらなく気持ち良いとか(写真提供:海老澤昌宏さん)

「そばは結実がはじまると、地面に近い方から順に熟していきます。2006年は、ほぼ全体が熟してから刈り取ったため、たくさん脱粒して収穫量が減ってしまったので、2007年はそんなことがないように、実の7割が熟したころに刈り取りをして、追熟させるつもりです」と海老澤さんのメールには書かれていた。

すべて天候次第だが、今のところ刈り取りは10月20~23日、その後、27~30日に脱穀と選粒を行なう予定だという。ぼくはまだ何の作業にも参加していないので、これから真っ当なオーナーになるべく、雑草取り1回、刈り取り1回に参加することを目標にしようと思っている。

海老澤さんやほかのオーナーたちは、大晦日にマイそば粉で年越しそばを打つらしい。そば打ちができないぼくは、そばがきでも作るか。それとも、年末までにそば打ち特訓でもしてみるか。まずは脱穀後にそばがらをもらって、子供と一緒に枕を作ってみるのも面白そうだなあ……。

伊勢原市のそば屋「N」の天ざる。マイそば粉で、これくらいおいしいそばを打ってみたいものだが……