日除けの棚で有名になってしまった駅
先週のコラム「第16回 土偶に導かれて大井町の農園で夏祭りを見物する」の最後で、「なぜ大井町でひょうたんなのか、については、また別の機会に」と書いたが、その答えを自分でも早く知りたくなってしまったので、今週も大井町の話を続けたいと思う。
ぼくは知らなかったのだが、もう10数年前から、大井町は「ひょうたんの町」ということになっているらしい。昭和45年(1970年)、国鉄(現在のJR)御殿場線の上大井駅で、強い西日を除けるために、駅舎とホームの間のスペースを利用して駅員がひょうたんの棚を作ったことが、大井町とひょうたんが赤い糸で結ばれるきっかけだという。
ただの日除けの棚が、なぜ"きっかけ"になり得たのかというと、昭和56年(1981年)に発行された日本交通公社(現在のJTB)の時刻表で、このひょうたんと駅舎の織りなす風景が表紙を飾ったからだ。ローカル線のひとつの駅に過ぎなかった上大井駅は一躍、「ひょうたん駅」として知られる存在となった。全国から鉄道ファンが押し寄せ、ひょうたんの棚の下は記念撮影をする人々であふれたそうだ。
上大井駅は昭和62年(1987年)の民営化によって、JR東海の管轄する駅となり、平成9年(1997年)からは駅員を置かない無人駅となってしまった。しかし、その後も地元の有志の方々が、ひょうたんの面倒を見続けていて、現在では駅舎とホームの間だけでなく、駅前広場に面した界隈にまで、見事なひょうたんの実が連なっている。
ひょうたんを名物にして町おこしを
そんな知名度の高い「ひょうたん駅」がせっかくあるのだから、ひょうたんを中心にした町おこしを考えていこう……そう考えた大井町の商工振興会は、平成6年(1994年)に、ひょうたんの育成栽培や加工方法を考えるための大井町ひょうたん文化推進協議会を発足。大井町の行政も翌年からこの組織と、上大井駅前や町役場、湘光中学校東側のけやき通りにひょうたん棚を整備し、「ひょうたんの町」をアピールした。
一般に、ひょうたんの実は器や飾り物といった工芸品のイメージしかなく、苦みが強いために食材としては使われていない。しかし、大井町では品種改良を進めて、食用ひょうたんを作り上げ、「ひょうたんクッキー」や「ひょうたんサブレ」「ひょうたんそば」「ひょうたんの味噌漬け」などが次々と生まれた。
ちなみに、菓子類やそばに加えられているのは、ひょうたんの種の粉末。そのひとつである「ひょうたんクッキー」は、平成15年(2003年)の神奈川県菓子コンクールで最優秀賞に輝き、県指定銘菓(同コンクールで優秀な成績を残した菓子の中から、学識経験者などによる審査、製造所の実地検査などを経て選ばれた、味、品質、デザインなどが優れているとされる銘菓)にも認定されている。
数あるひょうたんフードの中で最もインパクトがあるのは、2007年5月に「かながわの名産100選」に選ばれた「大井町のひょうたん漬」ではないだろうか。高さ4、5cmほどに成長したひょうたんの若い実を摘みとり、しば漬け風に梅酢で漬けてあるのだが、若い実とはいえ見た目はまさにミニひょうたん。そのまま皿に並べて出したら、知らない人は「まるでひょうたんみたいな形だけど、一体これは何? 」ということになるはず。口に入れると、ひょうたん自体の味は薄く、きゅうりの漬け物のような食感をしている。今回、写真入りで紹介できないのが残念でならない。
夏の夜を盛り上げるひょうたん祭へ
前回もチラリと触れたが、毎年8月の第1土・日曜に開催される大井町の「よさこいひょうたん祭」は、2007年で第21回を迎える。もともとは上大井駅前の商店会が「ひょうたん祭」を運営していたが、13年前から大井町商工振興会が、高知のよさこい踊りを取り入れた「よさこいひょうたん祭」を主催するようになった。今やよさこい踊りの出演チームは総数30以上、参加人数は述べ1,100人以上にも達するそうだ。
2007年8月4日が前夜祭、5日が本祭だったので、ぼくは5日の午後に上大井駅でひょうたんを眺めた後、夜の祭りをのぞいてきた。大井町役場駐車場に設けられたパフォーマンス広場やけやき通りなどで、地元企業や子供会、地区別のチームがそれぞれ練習を積んできたよさこい踊りを披露。よさこいなので両手にはもちろん鳴子を持っているわけだが、しっかりとひょうたんの形の鳴子も使われているところが、さすが大井町のよさこいだ。
またこの祭りでは毎年、ミスひょうたんと言うべき存在の「ひょうたん娘」が2名選ばれていて、今回の第13代ひょうたん娘には、県内外から22名の応募があったとか。なんとこれが過去最高の応募数だというから、やや寂しい。ちなみに賞品は10万円分の旅行券や浴衣セットなど。よし、うちの子が大きくなったら、ひょうたん娘に応募させるか。