近年、なにかと話題の「SDGs(エスディージーズ)」。山形・庄内には「持続可能な社会」に向けて活動する企業や若者たちがたくさんいます。この連載では、そんな庄内での暮らしに夢を持って、あえて地方で働くことを選んだ若手社会人を取材。SDGsに取り組む企業で働く人たちの活躍をお伝えしていきます。
連載2回目は、「ヤマガタデザイン」で鶴岡市農業経営者育成学校「SEADS(シーズ)」の立ち上げや運営に携わる田中草太さんを紹介します。
Vol.2 ヤマガタデザイン AGRI企画室 室長 田中草太さん(27才)
地元の過疎化、震災を機に地方自治を学んだ若者が山形に来た理由
田中さんは現在、山形県鶴岡市で鶴岡市立農業経営者育成学校「SEADS(シーズ)」の運営に携わり、日々農家の卵である研修生や、農業に関わりながらお仕事をされています。
そんな田中さんの生まれは宮城県の北西部に位置する加美町(かみまち)。
「すごい田舎でした。自分が小学生の頃から地域のバス停が減っていき、高校生の時には25キロ先の高校まで通学するためのバス停もなくなってしまいました。テレビで『限界集落』という言葉を聞くと、自分の地元のことなのかなと。このまま故郷ってなくなってしまうのかな…と思いながら育ちました」
田中さんが進路を考えていた高校2年生の時、東日本大震災がありました。
「僕の地元は内陸で津波の被害はありませんでしたが、部活でよく海側の高校へ練習試合に行っていたので、自分が被災していてもおかしくなかったと思います。その時『今やりたいことをやるという選択を積み重ねて生きていきたい』と強く思うようになり、ずっと興味があった『地方自治』が学べる東京の大学に進学しました」
大学では地方政治や行政の勉強をしながら、地方活性化に取り組んでいるNPOでインターンをするなど充実した学生生活を送ってましたが、就職活動が始まる大学3年生の時、壁にぶつかります。
「地方をどうにかしたいと色々やってきたんですが、いざ就活となったときに、行きたい会社や"この人と働きたい"と思う場所が1つも思い浮かばなかったんです。これはまずいなと思って、1年大学を休学して、仙台にある人材会社でインターンシップをしました」
その時、地方都市の課題解決のために街づくりをしているヤマガタデザインを知り、「ここで働きたい!」と採用の門を叩いた田中さん。
残念ながら新卒採用をしていなかったため、一度は東京の会社に就職しましたが、1年後、代表の山中大介さんに「新しく農業事業を立ち上げるから一緒にやろう」と誘われ、転職。2018年春に山形に移住しました。
有機農業で持続可能な"稼げる"農家を育てる
田中さんが運営に携わっている鶴岡市立農業経営者育成学校「SEADS(シーズ)」は、自治体や地元JA、教育機関、法人が連携して運営する全国でも珍しい農業研修施設です。
田中さんはここで、事業の立ち上げから、学校の運用、生産された有機野菜のブランド化、プロモーション、販売…と多岐にわたる業務を担当しています。
「有機農業を中心とした稼げる農業を目指して研修をしています。あえて有機農業に取り組んでいる理由は2つあって、1つはほとんどを海外の輸入に頼っている化学肥料を、地元にある有機肥料(家畜の糞尿など)に切り替え、化学肥料への依存度を減らすこと。もう1つは、一般的な野菜より高く購入していただけるような野菜を作ることです。そうすることで、庄内から環境的にも経済的にも持続可能な農業を作っていけると思っています」
ヤマガタデザインでは研修を実施するだけでなく、自社でもベビーリーフやミニトマトなどの生産を行っています。さらに、有機農業等の新ブランド「SHONAI ROOTS」を立ち上げ、基準を満たした地元野菜の販路開拓にも力を入れているのだとか。
自分たちだけではなく、地元の農家さんと一緒に、共に持続可能な農業を広げていきたいと考えているそうです。
「『SHONAI ROOTS』の栽培基準を設け、基準を満たす農作物を作っていただけたら、僕たちが確保した流通ルートで通常より高く販売できるようにしています。"有機農業は儲かる"という状態を作り、将来的には『有機農業をやるなら庄内』と言われるくらいにしたいです」
卒業生たちが庄内の農業を変えていく様子を見届けたい
研修希望者は順調に増えているものの、施設がある鶴岡市だけでも年間約140の農家さんが廃業をしているという現実があります。
「農家さんが減ると、1人で見なければならない農地が増え、大きな負担になります。だから、卒業生にはぜひ鶴岡に根付いて、チームで農業をやり、組織を運営する経営者的な農家になっていただきたいと思っています。卒業生たちが庄内の農業をどう変えていってくださるか、しっかり見届けたいですね」
最後に、田中さんに今後の展望について聞いてみました。
「農業って日本中のどんな田舎でもできるんです。僕が育ったいわゆる限界集落でも農業はできる。ちゃんと稼げる農業のビジネスモデルを作って、若い人たちに田舎で農業を始めてもらいたい。そうすれば限界集落だって再生できると思うんです。今後は農業だけでなく、林業、漁業にも挑戦してみたいですね」
取材を終えて
宮城県の限界集落で、地元がなくなるかもしれないという不安を抱えながらも、地域と共に暮らしている人たちに囲まれて育ち、そんな地元が大好きだったと話す田中さん。
田中さんは最近、庄内で空き家だった一軒家を購入。広いお庭が自慢で、お子様と遊んだり、奥様は家庭菜園を楽しんだりしているとのこと。休日は近くの海に遊びに行くなど、第二の地元・鶴岡の暮らしを満喫しています。
最後に、移住を考える人へ向けてのメッセージを伺いました。
「都会に住んでいると、"大勢の中の1人"という感じですが、地方は人口が少ないので、自分1人が周りに与える影響がすごく大きいと感じます。影響力が大きいっていうのは楽しいことだなぁって。そういう感覚を楽しめる人は、田舎暮らしも悪くないんじゃないかなと思います。ただ、田舎暮らしって生活費が安いと思われがちですが、車の維持費や灯油代とか結構かかるので、気を付けてくださいね(笑)」
農業を地方再生の切り札だと考え、日々地元の農家さんや研修生と向き合っている田中さん。田中さんが持つ影響力が、庄内の農業の未来をどう変えるか楽しみです。
著者プロフィール:伊藤秀和
1984年神奈川横浜市出身。2018年5月に三川町地域おこし協力隊として妻と2人の子どもと一緒に山形県庄内地方に移住。WEBライターとして外部メディア寄稿経験多数、ローカルメディア「家族4人、山形暮らしはじめました。」運営。