「仕事人間」とひとことで言っても、そのイメージはさまざま。バリバリと意欲的に働く人もいれば、働き過ぎてくたびれちゃってる人もいます。今回ご紹介する「矢飼黄河(やがいこうが)」は、いつだって働き過ぎ&疲労困憊(こんぱい)の中年男……なのですが、疲労の奥からなにやら色気が漂ってきています。
45歳、あだ名は「オヤジ」
矢飼は、おかざき真里が「FEEL YOUNG(祥伝社)」で連載中のマンガ『&』に登場する45歳の肺外科医です。彼に恋をする女主人公の青木薫は26歳で、昼は医療事務、夜はネイリストとして働くダブルワーカー。仕事以外で男に触れる(触れられる)のが苦手であるため、彼氏を作ったことがありません。そんな薫がはじめて触れたいと思えた相手、それが同じ職場にいた矢飼先生だったのです。
矢飼の勤める病院では、医師が夜勤明けに手術をするなんて当たり前。控え室には、ぶっ倒れるように眠りこける研修医がゴロゴロしているし、薫たち医療事務も、鬼のように忙しい。肉体的にも精神的にもかなりキツい、現代医療の実態がリアルに描かれています。そうした状況下で、誰よりもよく働くが故に、誰よりも疲れていて不機嫌そうな矢飼先生は「オヤジ」なんてあだ名をつけられ、患者からのクレームも多い「院内でも有名な 毒舌 人嫌い」というキャラクター。しかし、腕は確かです。
「仕事と恋愛どっちをとるの」は愚問!?
仕事人間同士が恋愛すると「フツーの恋愛」ができないことに対する不満ばかりが募りそうですが、『&』では恋愛のために捻出された時間が特別な輝きを放っています。
同じ病院に勤め、目の前で働いていることだってあるのに、まるで遠距離恋愛をしているみたいに、相手が遠い……だからこそ、会えたときの喜びはなにものにも代えがたい(しかも矢飼がなかなか本心を言わない、ツンデレのツンしかないような男なので、超貴重なデレが出たときの薫の幸福感たるや!)。仕事が一種のブレーキになることで、ふたりの距離は近づいたり離れたり……読者もまた、甘く苦しい時間を何度となく乗り越えねばなりません。
矢飼と薫を見ていると、恋愛は時間ではなく強度なのだと思えますし、仕事と恋愛のどちらも捨てない彼らの生き方には、ものすごく励まされます。『&』とは、「忙しい人は忙しくない人とペアになればよい」とか「貧乏女は金持ち男に資金援助してもらえばよい」といった合理性を周到に排除しつつ進んでゆく物語なのです。
オジサンの仕事論はウザいか?
矢飼と薫がお互いに「ムリしてでも会いたい人」であり続けていることには、彼らの仕事に対する姿勢が大きく関わっています。特に、誰よりも場数を踏むことで一流の技術を身につけた矢飼の言葉には、なんとも言えない重みがある。ぶっきらぼうで職人気質(かたぎ)な男の言葉。それが薫の生きる力になってゆきます。
例えば、薫が夜だけのネイルサロンを開店したと聞いた矢飼は、次のようにまくし立てます。
「どーせ思いつきで起業したんだろ お友達同士とかで 事業計画書もろくに書いてねーんだろ? 続ける気あんの? 資金ショートするか自分が体壊したらそこで終わり? それはお身体ご自愛くださいだね 派遣よりさらに不安定な仕事増やしてどーすんの」(まだ続くのですが割愛)
……厳しい言葉ですが、薫には反論のしようもありません。「続かないかもしれないけど やめません」と答えることしかできない。しかし、その直後に矢飼は、そんな薫が「うらやましくもある」と言うのです。
「失敗してもいくらでもやり直せる あんた達にはその時間があるってことですよ 時間というのは資本です それをもっと自覚して 自信をもって有効活用すりゃいい」(これまたまだ続くのですが割愛)
薫の起業を、ネガとポジの両面から評価し、最終的にしっかり励ます。これが、矢飼のやり方です。
ツンデレ+仕事疲れは黄金のレシピ
もしもこの仕事論がバリバリ働く系の中年男から発せらていたら「なんか説教くさい……」で終わっていた可能性があります。起業したばかりで不安いっぱいの薫に、元気いっぱいのオジサンが語った所で、それはエネルギーの位相が違い過ぎるというもの。病人にいきなり極厚ステーキを食べさせるようなものです。
しかし、語っているのがボロ雑巾みたいになって働いているオジサンとなれば、話は別。やはり病人にはお粥ですよね。そして、全てを語り終えた直後に矢飼が言った「……ところでお前 終電大丈夫か?」からの、自転車ふたり乗り! 疲れているのに全力疾走! これには、枯れた中年男性が大スキな「枯れ専」でなくてもグッとくるハズです。そして、ここで重要なのは、矢飼が究極のツンデレだからキュンとするのではないということ。そこに仕事疲れがプラスされることで、えも言われぬ魅力が醸し出されているのです。
さらに別のシーンで、ドロドロに疲れた当直明けの矢飼がこんなことも言っています。「なんかもォ…… 俺 寝ないで明け方何やってんのって情けなくなっちまって……あんた夜中も受付にいろよ」……仕事人間の悲哀と可愛らしさが詰まったセリフから学ぶべきは、仕事人間の疲労がときに「媚薬」となって、恋する気持ちを加速させるものだということ、これに尽きます。
<著者プロフィール>
トミヤマユキコ
パンケーキは肉だと信じて疑わないライター&研究者。早稲田大学非常勤講師。少女マンガ研究やZINE作成など、サブカルチャー関連の講義を担当しています。リトルモアから『パンケーキ・ノート』発売中。「週刊朝日」「すばる」の書評欄や「図書新聞」の連載「サブカル 女子図鑑」などで執筆中。