川上弘美の同名小説を、『人のセックスを笑うな』などの監督作品で知られる井口奈己が映画化した本作。竹野内豊演じる主人公のニシノくんは、超イケメンで、仕事もできて、実家が金持ちのボンボンで、温泉旅行に行きたいと言えばBMWのコンバーチブルで迎えに来てくれるような男。つまり、典型的なイイ男です。
ニシノくんは天性のモテ男
金も権力も家柄も美貌も持ち合わせているのだから、天狗(てんぐ)になっても良さそうなものですが、女の人に対してぜんぜん上から目線じゃなくて、ひたすら優しいし、サービス精神も旺盛。その結果、望むと望まざるとに関わらず、あらゆるタイプの女性に惚れられてしまう、天性のモテ男です。言ってみれば全女性の理想像みたいな人物なのですが、それと同時に、こんな男をうっかりパートナーにしたら、いつ浮気されるか分かったもんじゃない! という非常に心配な人物でもあります。実在して欲しいような、フィクションで良かったような、複雑な心境にさせられる男。それがニシノくんです。
映画の中では、料理教室でニシノくんと知り合って以来、彼と恋バナをする間柄になったサユリさん(阿川佐和子)が、彼の恋愛遍歴を振り返ることによって、ニシノくんの人となりを明らかにしてゆきます。
サユリさんの語りからも、ニシノくんが本当にモテモテであることは一目瞭然なのですが、彼はたったひとりの特別な人と結ばれることがありません。それどころか、ニシノくんに惚れ込んだ女たちは、最終的に自らの意志で彼のもとを去ってしまうのです。嫌いになったワケではありません。それどころか、彼と交際していた女たちはみな、いつまでも、彼のことを思い続けています。地味な女も、結婚している女も、女が好きな女も、ニシノくんのことが大好きになるし、ずっと大好きなのです。
ニシノくんの女性への対応力は、まるで神からの贈り物
それなのに彼女たちが別れを決意するのはなぜか。それは、ニシノくんには女たちの「声に出さない声が聞こえる」から。その声に従って行動すると「全ての女の子の欲望に応えちゃう」ことになってしまうというのです。ニシノくんの家に行きたいと言った女は全員家に上げてしまって大変なことになったり、気になっている女がいても、別の女に誘われれば(セックスこそしないものの)デートには応じる。優柔不断とか、チャラいとか、そういうのとはひと味違うニシノくんの全方向的な「対応力」を見せつけられた女たちは、彼を自分だけのものにできないことを悟るのです。
ニシノくんの対応力は、まるで神からの贈り物。そして、その貴重な能力は、ひとりの女が独占できるタイプのものではなく、女たちの間で共有されるべきものなのです。
物語の中盤で、ニシノくんが出した企画が通り、プロジェクト主任に昇進するというシーンがあります。会社でのニシノくんは、上司のマナミ(尾野真千子)との恋愛がスタートしたばかりで、会社でこっそりキスするなど、イチャイチャしまくりだったのですが、ニシノくんの昇進をきっかけに、マナミはニシノくんの元から去ってしまいます。けんかしたワケではありません。むしろニシノくんは、もっとマナミをちゃんと好きでいたいから結婚しようとまで言いだすのです。しかし、マナミはこのプロポーズを受け入れないどころか、彼のことをフってしまいます。
ニシノくんの愛を独り占めできそうになった瞬間、ニシノくんをフる。マナミの行動は、一見不可解です。ニシノくんの昇進やプロポーズの前は、カノコ(本田翼)というライバルとニシノくんを奪い合っていたのに。それぐらい、ニシノくんのことを手に入れたがっていたのに。
女はなぜプロポーズを断ったのか
しかし、昇進した男がプロポーズしてくるという、世間的に見れば「ノりにノってる」状態も、ニシノくんに限っては、ぜんぜん羨ましい状態ではないのかも。会社で昇進するとか、結婚して身を固めるとか、そういう社会的な勝ち組っぽさよりも、恋愛をして、今のこの瞬間を楽しむことが、ニシノくんの天職だとしたら……マナミは本能的にプロポーズを回避することで、ニシノくんが生涯かけて取り組むべき「真の労働」を守ろうとしたのかも知れません。
労働とは、会社のような組織で働いて、賃金を得ることだけとは限りません。ニシノくんのように、女たちの欲望に応え、愛という名の報酬をやりとりすることも、ある意味では立派な労働だと言えるのではないでしょうか。
そして、もし恋愛=労働だと言えるのなら、全ての女の子の欲望に応えることのできるニシノくんは、大変なエリートということになります。恋愛という労働に昇進も昇給もないかもしれない。しかし、ニシノくんを女たちが決して悪く言わないこと、むしろ彼と恋仲になった女たちが、ある種の絆で結ばれていく様子は、ニシノくんのすごさを如実に物語っています。
仕事が忙しすぎて恋愛ができない人。恋愛にかまけて仕事がおろそかになる人。わたしたちはこんな風に仕事と恋愛を分けて考えがちですが、恋愛も仕事だと捉え直したら、新しい地平が開けてくるのかも。ニシノくんを見ていると、そんな気にさせられます。
<著者プロフィール>
トミヤマユキコ
パンケーキは肉だと信じて疑わないライター&研究者。早稲田大学非常勤講師。少女マンガ研究やZINE作成など、サブカルチャー関連の講義を担当しています。リトルモアから『パンケーキ・ノート』発売中。「週刊朝日」「すばる」の書評欄や「図書新聞」の連載「サブカル 女子図鑑」などで執筆中。