白い木造の建物に、絡まる緑のツタ。店内には白と緑を基調とした淡い色の花々が並ぶ。西荻窪の住宅街にある花屋「エルスール」が今回の訪問先です。
雰囲気の良いお店というのは、いくつか知っていますが、「エルスール」ほど自然に世界観が表現されているケースはあまりありません。
例えば、木の看板の色落ち具合、腐食の進行度合い。発注書などをクリップする真鍮(?)の壁掛け。細部までこだわっているのがひしひしと伝わって着ます。ここまで徹底的な世界を生み出せるのはなぜか。代表である渡辺邦子さんの頭の中を覗いてみたいと、お話をうかがってきました。
自分らしく生きるため
6人家族で4人兄弟の末っ子。一番上の姉とは10歳も離れています。兄弟というより、みんな親みたいな感じだったそうです。兄弟間の競争みたいなものは全くなく、何事も彼女が最優先。暗黙の了解みたいになっていたそうです。
そんな彼女がデザインに目覚めたのは高校時代。家庭科の先生が母親に「(邦子さんを)絶対にデザイン関係の学校に進ませてほしい」と勧めてくれたのをきっかけに、服飾学校に興味を持ち始めました。当時、姉が結婚して東京にいたため、姉の所に下宿しながらであればと、文化服装学院に入学します。
当時の文化服装学院には、高田賢三氏(KENZO)や三宅一生氏(イッセイミヤケ)らが在籍しており、彼らの影響力は絶大でした。そんな学校を卒業したにもかかわらず、母親から「働く必要はございません。もう終わったから家に帰ってらっしゃい」と渡辺さんは実家に連れ戻されてしまったそうです。
自由を手に入れるために考えた
どうしたらいいのか考えて、彼女がたどり着いた結論はなんと結婚。結婚して家を出れば、自由になれるのではと考えたと言います。
「当時たまたま良い人がいたので、とんとん拍子で結婚を決めました」
すぐに3人の子供も生まれ、いわゆる専業主婦になった渡辺さん。子育て中は専門学校で習った服飾知識を生かして、持ち物を染色したり、編み物を作ったり、アクセサリーを作るために彫金にも挑戦したりしながら家庭生活を満喫します。
――いくら母親であっても女性を忘れてはいけない
「ちょっと自慢じゃないんですけど、私ずっと家庭の匂いがしないって言われるんです。家庭のことはすごく好きで、子どもも育てたりするんだけど、言われたことがないんですよ。家庭の匂いがするって」
彼女のこだわりのひとつに、いくら母親であっても女性を忘れてはいけないというものがある。自宅にいるときでも化粧して、身なりを整えて。常に女性として美しくありたいという想いがあるという。
「きらびやかじゃなくて、緊張感みたいなものは持ち続けたいと思っています」
――離婚しても、きちっとした女性として生きていく姿を見せなくてはいけない
主婦生活は魅力的だったものの、諸事情により結婚生活にはピリオドが打たれます。当時子供3人はそれぞれ小学生、中学生、高校生。子供たちに自分が生きる姿勢を見せなきゃいけないという思いが強くなったそうです。生活していくために仕事をしなくてはなりません。
そこで、人材派遣会社に登録し、仕事のなかでもより服飾の知識を生かせる伊勢丹のオーキッド(伊勢丹の特選洋服売り場)に就職を果たしました。
お花は、自分で全部の世界を創り上げられる
元々デザインに興味のあった渡辺さんでしたが、競争の激しい服飾業界で、デザインが生かされるスタイリストやデザイナーを目指すのはいばらの道でした。自分にできることは他にないのか? と考え、ある日自腹で花瓶を買って、花を買って、マネキンの前にいけてみました。
今では服の周辺に装飾を行うのは当たり前ですが、その当時は誰もやっていませんでした。ぽんって置いたら「いいじゃないか。会社が出してやるからやってみよう」と、上長からお墨付きをもらいました。
「花を生けるのは楽しかったお花は自分の世界、自分の表現ができる。自分を表現できて自分の好きな色、好きな形、器、全部で自分の世界を創り上げられる。花はもう本当にみんながえーって言うぐらいできちゃうんですよ。ブーケだろうが何だろうが全部できちゃう」
これを機会に、ほぼ未経験状態にもかかわらず、エルスールをオープンします。
――損得は一切考えていない
損得を一切考えない性格なので、お願いされたことは基本的に「ハイハイ」という感じで受けています。すると、お客さんが、いろんな仕事を持ってきてくれる。例えば、君島一郎先生(服飾デザイナー)が発表会をやるので、そこで花を出してみないかというお誘いを受けたり、「家庭画報」からブーケの制作依頼をもらったり、キャンドル作家とコラボレーションしないかというお誘いをいただいたり、仕事がひとりでに広がっていったそうです。
お金にもあまり執着がないため、花の買い付けに行くと、まずきれいという感覚からすべてが始まります。周りから値段を見るように促されても、「うるさいなあ、売れればいいでしょう」「美の世界ですぐお金のこと言わないでください」といった風です。それでもちゃんと自分がいいと思ったもの、美しいと感じたものは売れるそうです。
――自分の性格的に、いつまでたっても満足はしない
「80までが動ける期間だとすると、最近残りの日々は何をすべきか考えるようになった」。今までずっと忙しくて遠出が出来なかったので、最近は外国旅行によく出かけているそうです。しかし、単純に遊びに行っているわけではありません。海外の花屋の魅力を取り入れようとしているのです。
「死ぬまでより良い仕事を追い求めていく気がする。自分の性格的に、いつまでたっても満足はしない。渡辺邦子という女性として生まれて、ここまで過ごしてきて、そしてこれからどうやって生きていくか」
渡辺さん、そしてエルスールはこれからも進化し続けます。
私は私。流行ろうが流行らなかろうが、1人でもやる
「私、今やっていることを仕事って思ってないのよね」彼女にとって重要なことは、女性としてどう生きるか。花屋の仕事も、その生き方の一部であり、苦役や稼ぎのための仕事としてくくり出して考えたことは無いといいます。
だから、人の目は気にしないし、人に何を言われても気にしない。優等生になろうとも思わないし、何かを成し遂げなきゃみたいな気持ちもありません。
「私は私でやってる。流行ろうが流行らなかろうが、1人でもきっと同じことをやっている。その代わり人を傷付けたり、人を利用したり、そういうことは絶対にしたくない。自分のルールの中でやるっていうのが私の生き方であり、仕事」
話を聞いていると、渡辺さんの行動指針は極めてシンプルであることがわかります。
「より自分らしい生き方をつくるために、改善し続ける」
わき目もふらず、自分の世界観を追求した結果がエルスールの自然に世界観に繋がっているのでしょう。
田中 翼
国際基督教大学を卒業後、運用会社に勤務。趣味で様々な業界への会社訪問を繰り返す中、その魅力の虜に。同体験を他人にも勧めたいと、仕事旅行社を設立。1万人以上に仕事体験を提供。