国宝から受けた違和感
「意外に重苦しいな……」というのが、国宝の「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)を見た時の印象だった。紅白梅図屏風は江戸時代中期、尾形光琳が描いた二曲一双の屏風で、右側には白い花をつけた梅の老木が、左側には赤い花をつけた若々しい梅の木が描かれている。花弁を線描きしない独特の梅花の描き方や、樹幹に見られる「たらし込み」の技法など、光琳の卓越した筆さばきが、画面全体を覆う金箔の上で躍動していた。
しかし、同じ光琳の「燕子花図」(国宝・根津美術館蔵)などに親しんできた筆者は、紅白梅図屏風になぜか違和感を覚えた。燕子花図は金箔の上に濃淡の群青と緑青によって描かれた絢爛豪華な作風で、光琳芸術の到達点とされる紅白梅図屏風には、それを超える華やかさを期待していた。しかし、実際に見た紅白梅図屏風は、画面全体が金箔で覆われている点では同じだが、重苦しさが前面に出ていて、燕子花図のような輝かしさがあまり感じられなかったのだ。
黒ずんだ水の流れ
紅白梅図屏風の重苦しさの理由は、画面中央に描かれている水の流れにあった。光琳らしい装飾的な模様で描かれているのだが、その色彩は黒みを帯びたもので、これが画面全体を支配していたのだ。
紅白梅図屏風は尾形光琳の最晩年の作品であることから、「迫りくる死の気配を感じた光琳が、それまでの華麗な画風から枯れた画風に切り替えたのだろう…」などと、解釈していたのだが、これは大きな誤りであった。
近年の研究から、現在の紅白梅図屏風は、光琳が描いた当初の色彩とは大きく異なっていることが分かってきた。水の流れは銀箔で描かれていて、当初は鮮やかな光を放っていたという。紅白梅図屏風を詳細に調査した東京理科大学の中井泉教授は、描かれた直後の色彩をコンピュータ・グラフィックスで再現している。これを見ると、水の流れは銀色に輝き、金箔や鮮やかな梅の色と相まって、驚くほど華麗な画面に仕上がっていた。紅白梅図屏風は、晩年になった光琳の「枯れた画風」などではなく、燕子花図で見せた華やかで装飾的な画風を、さらに高めた作品だったのだ。
「錆びる銀」と「錆びない金」
紅白梅図屏風の水の流れが黒く見えるのは、銀箔が変色したためだった。銀は空気に触れると、次第に変色してしまう性質がある。一般に「錆びる」などと呼ばれているが、正確には「酸化」ではなく「硫化」してしまうのだ。銀メッキの食器などで見られるように、銀は空気中の硫化ガスと化学反応を起して表面に硫化銀の皮膜を作り、黄色から茶褐色、そして最後は黒色になる。紅白梅図屏風の水の流れは、銀箔が硫化したために、光琳の意図に反して、現在見るような重く沈んだ色調に変わってしまったのだ。
これに対して、金はほとんど変色しない。一般の金属のように酸化することも、銀のように硫化することもないのだ。画面一杯に貼られた「錆びない金箔」が輝きを維持する一方で、「錆びる銀箔」で水の流れが描かれた結果が、現在の紅白梅図屏風の色彩だったのである。
2005年に中央公論美術出版より、蛍光X線分析、2200万画素の高精細デジタル撮影など最先端技術を駆使して、高精細印刷による多種多様な画像と調査した全ての科学的なデータを提示し、「国宝紅白梅図屏風」に描かれた光琳の技法の謎に挑んだ、MOA美術館と東京文化財研究所の共同研究による調査報告書「国宝 紅白梅図屏風」が出版されているので、ぜひご覧いただきたい。
金は貴金属の最高峰
金と銀は貴金属の代表であり、長い歴史を共に刻んできた。しかし、いつの時代でも、どんな場面でも金が銀よりも上の地位にあった。優勝者に与えられるのが「金メダル」で「銀メダル」はこれに次ぐ人に与えられてきた。「金婚式」は結婚50周年で「銀婚式」の25周年より上であり、今年は5連休だった9月の「シルバーウィーク」だが、春の「ゴールデンウィーク」には敵わない。
政府から勲章などと共に贈られる賞杯の最高のものは「銀杯」だが、これは元々あった「金杯」が1938(昭和13)年に時局の悪化で中止されたまま現在に至っているためで、「銀杯」が「金杯」より上というわけではない。
「どうせ入れるなら金歯だよ」というのは知人の歯科医。「金歯は銀歯に比べて柔らかくいことから適合度が高い。時間の経過とともに馴染んで行くため外れにくいし、変色することもない。銀歯とは比べ物にならないよ…」と、素材としての金の利点を強調する。
人類の長い歴史の間で、金は富の象徴として君臨し、日本語で「お金」、ドイツでは「Gelt」など、通貨を意味する言葉となっている。金を基準とした通貨制度である「金本位制」は、1970年代半ばまで国際通貨システムに採用されていた。その信頼性と安定性は抜群であり、乱高下する為替相場を安定させるためには、金本位制に戻すべきだと主張する学者や通貨当局者もいるほどだ。
金と銀の間には大きな価格差があるのは、単に希少性の問題だけではない。いつまでも変わらぬ輝きを保つ金と、時間とともに輝きを失ってしまう銀。両者の差が現れているのが紅白梅図屏風であり、金の持つ揺るぎない価値を示しているのである。
<著者プロフィール>
玉手 義朗
1958年生まれ。外資系金融機関での外為ディーラーを経て、現在はテレビ局勤務。著書に『円相場の内幕』(集英社)、『経済入門』(ダイヤモンド社)がある。