数カ月ぶりに何気なく乗った体重計、そしてその結果突発的に始めた筋トレというものは続かないものである。その際に「決意の印」として購入された鉄アレイやダンベルは、持ち主が全てを諦めた瞬間、別の人生を歩み始める事になる。
街を見渡すと、そんなものたちに出会うことができる。
でっかい夢の跡
我々は結果を急ぐあまり、必要以上に重い筋トレグッズを買いがちである。
重い鉄アレイで一発逆転とばかりに結果を急げば、その終わりも早くやってくるのか、街中に放置されている鉄アレイやダンベルはやたらと大きいものが多い。
5kg、7kgは当たり前、さびた10kg、15kgクラスの鉄アレイがソッと庭先に置かれている様などを見るたびに、少しずつでいいから続けることの大切さを教えられるような思いだ。
寄り添う鉄アレイ
一式まるごと置かれているケースもある。杉並区の飲食店前、重いものから比較的軽いものまでまとめて置かれた鉄アレイのたまり場を見た。
この写真とは直接関係ないが、なぜ鉄アレイは外に置かれてしまうのだろう。その理由を考えてみると「何ゴミで捨てていいのかよくわからない」というのもありそうだ。
危険物か、燃えないゴミか、はたまた鉄くずなので資源ごみか。各自治体で異なるとはいえ、ちょっと調べれば分かるはず。
鉄アレイによる筋トレが続けられない人と、ゴミの捨て方を調べるのが面倒だと感じる人には相関関係があるのではないか。
ちなみに僕は完全に両方に当てはまる。
覚悟の果てに
空き家にダンベルが(撮影場所: 東京都杉並区) |
空き家となった民家の駐車場でさびて放置されたダンベルを撮影。
ダンベルである。軽い気持ちで買える小ぶりな鉄アレイとは訳が違う、ある種の覚悟が必要なサイズである。
調べると、ダンベルはdumb(ダム=音の出ない) bell(ベル=鐘)を語源とし、鉄アレイのアレイは"ダンベル"を直訳した"亜鈴"のこと。つまり、ほぼ同意となる。これらを別々に扱うのは少し変なのだが、ジムに通う人々に聞くと「別のものとして扱っている」らしくなかなか奥が深い。
とにかく、持ち主はそれなりの覚悟の上で入手したであろうこのダンベル。庭に放置したというより、きっと元から庭先でダンベルを使用していたのではなかろうか。
捨てられこそされなかったが、家の中は邪魔だとか、誰かがつまずいて怒りを買ったとか、きっと紆余曲折あって庭先にたどり着いたのだ。今や使う人もいないダンベルが、ここにたどり着くまでの物語に僕は思いをはせた。
これからも、街中の鉄アレイやダンベルに注目して歩いていきたい。
<著者プロフィール>
zukkini
1982年佐賀県生まれ。進学のため上京するも友達が全く出来ないことに絶望し、ネット上で日記を書き始めて15年。
現在は残飯系情報サイト「ハイエナズクラブ」を主催し、「オモコロ」のライターとしても活動中。
趣味は録画した「警察24時」を繰り返し観ること。