全国の神社やお寺の参道には、何百年と愛されてきた老舗の和菓子屋さんや社寺ゆかりの名物を商うお店があります。旅はその土地の名物を食べるのも楽しみのひとつですが、せっかくの社寺詣。社寺ゆかりの名物に舌鼓をうってみませんか。

第3回は酷暑で知られる埼玉・熊谷にある妻沼聖天山と、江戸時代から愛され続ける棒状の名物“妻沼いなり寿司”をご紹介します。

縁結びの聖天様として親しまれる妻沼聖天山歓喜院

  • 日光を彷彿とさせる豪華絢爛な彫刻装飾から「埼玉日光」ともいわれています

地元の人々から「妻沼の聖天様」の愛称で呼ばれている妻沼聖天山歓喜院。平家物語や源平盛衰記などの軍記物に武勇優れた武将として描かれた、斎藤別当実盛が治承3(1179)年に自身の守り本尊だった大聖歓喜天を祀ったことに始まります。戦で亡くなった人の御霊を慰霊するとともに、領内の繁栄や安定を祈願する総鎮守として開創され、広く信仰されるようになっていきました。

江戸幕府を開いた徳川家康にも庇護され、聖天堂の造営を命じた記録も残っています。ところが寛文10(1670)年、妻沼の大火と呼ばれる大火事によって本殿が消失。信仰心の篤い庶民たちの長年の浄財によって宝暦10(1760)年に仮屋根が再建され、安永8(1779)年に完成しました。奥殿、中殿、拝殿の3棟が連なる権現造りの聖天堂の外壁一面は目をみはるような極彩色の彫刻で彩られています。

同じく精緻な彫刻で知られる日光東照宮の造営から100年後の建造物であり、彫刻や彩色の技術の向上が随所に見られるため日光東照宮の進化形とも評されます。

  • 平成23(2011)年に修復工事を終えて、再建時の美しい色彩が蘇りました

ただし幕府から予算を投じられた日光と大きく異なるのは、建築費用が計画から完成に至るまで、信仰する庶民からの浄財を集めて賄われたということ。聖天堂の彫刻群に加えてこうした背景が評価され、平成24(2012)年には埼玉県で建造物としては初となる国宝に指定されました。

人と人との縁を結ぶ"縁結び"のご利益

聖天様は縁結びの霊験があらたかだといわれ、男女の縁だけでなく夫婦の縁、親子の縁、商売などあらゆる良縁を結んでくれるとされています。ご住職によると、昭和50年代頃までは仲人さんが境内で若い男女を引き合わせるお見合いも盛んに行われていたそうです。今ではこうした文化は廃れてしまいましたが、良縁を祈る人々のお詣りが絶えることはありません。

聖天様は大根が好物とされ、ご紋にも二股大根が使われています。そのため昔から近隣の農家がお供えにと大根を持ってきてくれるのだそう。取材中も良縁を願う個人の参拝者が、買ってきた大根を奉納している人を数多く見受けました。これらの大根は毎朝きれいに洗って皮を剥いてお供えをしているそうですが、大根が通年手に入らなかった時代には種をお供えしていたとか。

江戸時代から続く独特の棒状のいなり寿司「妻沼いなり」

この妻沼聖天山のある界隈で根付いているのが、棒状の長細い形が特徴的ないなり寿司で「妻沼いなり」と呼ばれています。境内の周辺にある3軒が販売していますが、その元祖といわれているのが「森川寿司」です。

  • 江戸時代に創業した茶屋「毛里川」が元となる森川寿司。聖天堂の西側にあります

同店は江戸時代の宝暦年間に餅や団子を売る茶店として創業したと伝えられています。しかし水害や妻沼の大火災などの被災もあったため、いつからいなり寿司を商うようになったか詳細は不明なのだそう。

  • 「妻沼いなり」は10cm以上の長さがあるいなり寿司が3個、かんぴょうの海苔巻4切れがセットになって1人前。濃いめの甘じょっぱい味付けは後を引く美味しさ

また、この妻沼地方独特の形状をしたいなり寿司の由来や歴史について詳細はわかっておらず、昔から利根川沿いの肥沃な土壌で良質な米や大豆、菜種油も豊富にできたことが背景にあるのではと見る向きがあります。一方で、寛保2(1742)年に起きた関東一円を襲った大水害では、被害が少なかった西国の藩に命じて復興工事に当たらせました。妻沼には江戸から岩国藩の人夫が派遣されて工事が行われますが、このときに江戸のいなり寿司の文化が持ち込まれて進化を遂げたのではとする説があります。

森川寿司のご主人・堀越氏によれば、かつて町内には複数の豆腐屋があったほど大豆が豊富に採れた地域だったそう。また、このあたりは利根川の船着き場としても栄えた場所であり、江戸中期には地元で採れる米と油揚げに加えて利根川の水運によって持ち込まれる浅草海苔と、栃木から運ばれてくるかんぴょうを使って旅人の腹持ちのよいお弁当として売られたとする説があります。船乗りが手づかみで食べやすいように特徴的な棒状になったという説も。

  • 写真は右から森川寿司、小林寿司、聖天ずし

今では豆腐屋も数が減ってしまい、森川寿司で使う油揚げは行田にあるお店に特注で作ってもらっているそうです。妻沼聖天山の近くで現在も「妻沼いなり」を商うのは、小林寿司と聖天ずしの計3軒。それぞれに味付けや海苔巻に特徴があるので、お詣りの後に一軒ずつ立ち寄って食べ比べをしてみるのも楽しいもの。いずれのお店も日によって売り切れる時間が変わりますが、確実に手に入れたいなら午前中に行くのがおすすめです。

DATA
妻沼聖天山歓喜院
埼玉県熊谷市妻沼1511

森川寿司
埼玉県熊谷市妻沼1523