全国の神社やお寺の参道には、何百年と愛されてきた老舗の和菓子屋さんや社寺ゆかりの名物を商うお店があります。旅はその土地の名物を食べるのも楽しみのひとつですが、せっかくの社寺詣。社寺ゆかりの名物に舌鼓をうってみませんか。

第2回は千葉・成田市にある成田山新勝寺と、遠くから新勝寺へ参拝にやってくる人になにか名物をと考案された米屋の"栗羊羹"をご紹介します。

  • 千葉・成田の成田山新勝寺と「米屋」の"栗羊羹"

乱を平定するために創建された成田山新勝寺

  • 年間1,000万人が訪れる新勝寺。広い境内には紅葉や桜など四季折々の美しい景観が楽しめる公園もある

お正月三が日には初詣で300万人もの参拝者がやってくることで知られる、千葉県の成田山新勝寺。2018年には開山1080年を迎えた古刹で、参道には古くから続く飲食店や土産物が軒を連ね、お詣りや買い物、食事を楽しめる日帰り旅行先としても人気のスポットです。

成田山新勝寺の創建のきっかけとなったのは天慶2(939)年に起きた「平将門の乱」。これを鎮定するため、第59代宇多天皇の孫にあたる寛朝(かんちょう)大僧正が祈祷を命ぜられました。大僧正は京都の神護寺に安置されていた、弘法大師空海が自ら彫ったという不動明王像と朱雀天皇より授かった宝剣を持って船で房総半島に上陸。成田の地で21日間の護摩祈祷を行って乱は収まりました。

  • 不動明王が安置されている大本堂は昭和43(1968)年に建立されたもの

ところが大僧正が帰京をしようとすると、不動明王像が動かなくなってしまいます。そしてこの地に留まって人々を救うよう告げられたことから、不動明王像を祀るお堂が建立されました。これが新勝寺の始まりで、寺名には"新たに勝つ"という名前がつけられました。

飛躍的に参詣者を増やした鉄道の開通

江戸時代になると、霊験あらたかな成田不動尊を広く知ってもらおうと江戸・深川で御本尊を公開する出開帳を始めます。また、子授けを祈願した歌舞伎役者・初代市川團十郎が念願叶って跡継ぎを授かると仏恩に感謝し、不動尊信仰をテーマにした演目「兵根元曽我(つわものこんげんそが)」を上演。こうした背景もあって、成田詣が江戸の人々の間で流行。門前には多くの茶店や旅籠が建てられて、街全体が観光地として発展していきます。

  • 大本堂で行われる御護摩祈祷。御本尊の前で護摩木を焚いて心願成就を祈祷する

明治30(1897)年には鉄道の敷設によって、東京と成田が日帰りで往復できるようになると成田詣はさらに盛んになっていったといいます。

不動明王像と「なごみの米屋」のご縁

  • 参道に建つ「なごみの米屋」總本店の外観。銘菓を求めて地元客や観光客で賑わう

今や多くの参拝者がやってくる成田山新勝寺ですが、室町時代には壮大な伽藍もすっかり荒廃してしまい、ご縁があって成田村の名主・諸岡三郎左衛門が不動明王像を自身の屋敷に遷してお祀りすることに…。その後、永禄9(1566)年まで、手厚く奉仕したといいます。

実はこの諸岡三郎左衛門を遠祖にもつのが、成田山土産の定番「栗羊羹」で知られる「なごみの米屋」の創業者・諸岡長蔵でした。諸岡家は明治時代初期まで米穀販売業を営んでいましたが、鉄道の開通で増え続ける参詣者を見て「せっかく成田に来てくれた人に、なにかいいお土産はないものか」と思案。新勝寺が精進料理に出していた栗羹にちなんで、明治32(1899)年4月に「栗羊羹」を発売します。

  • 今も「なごみの米屋」の看板商品となっている「極上栗羊羹」。内カートンには参道のイメージが描かれている

しかし、当時すでに参道には成田の山野に自生している「芝栗」を使った栗羊羹を売っている店が何軒もありました。後発だった米屋の栗羊羹は、5年から6年はまったく売れない日々が続いたそうです。

  • 今も残る、明治時代に作られていた羊羹のパッケージ

そこで諸岡長蔵が一計を案じたのは品質本位を全面に出すことでした。当時、参詣者相手に値引き販売や上げ底の商品など、決して良い商品といえない羊羹が乱発していた現状に一石を投じるような「一切値引不仕候(一切値引きをしません)」と書かれた看板を店頭に掲げたのです。その真意は、おいしい材料で作った良い品質の羊羹を原価ギリギリの定価をつけるということでした。そしてだんだんと「本当に品質がよくておいしいのは米屋だ」と口コミで評判になり、成田山の名物としてその名が轟くようになりました。

  • 総本店の敷地内「旧跡庭園」に建つ諸岡重蔵の胸像。かつて屋敷内に遷して奉仕していた諸岡三郎左衛門が毎朝水を汲み、不動明王像にお供えしていたという井戸はもうないが、同じ水脈を掘った「不動の大井戸」がある

不動明王像を手厚く祀った先祖をもち、成田山を崇拝していた人物が参拝に足を運ぶ人のために土産を考案する。取材をしてみると、その不思議な仏縁と奉仕の心に胸を打たれる想いでした。今では米屋を含めて3軒だけが明治時代から変わらず羊羹を商っているとのこと。成田の名物として、これからも多くの人に愛され続けて欲しい参道の名物です。

DATA
成田山新勝寺
千葉県成田市成田1

なごみの米屋 總本店
千葉県成田市上町500