たとえば、男性同士が友だちになるとき、いかにも気の合わなそうなタイプの人や、ちょっと苦手と感じるタイプの人と、すぐに仲良くなることは少ないことと思います。もちろん、時間が経って相手を知り、お互いのいいところが見えるようになったら、

「なんだ、アイツはけっこういいヤツだ」

と親しみを覚えたり、意外に共通の趣味があることがわかったりして、友人になることもあるでしょう。

ところが、女の子問題(恋愛問題)となると、なかなか男同士のようにはまいりません。まず、自分はどういうタイプの女の子と合うかどうかもよくわからない。何を判断基準にして、彼女と「合う」か考えればいいのか、その「ものさし」をみつけるのがタイヘン……ともいえそうです。

そういうわけで、相手が女の子となると、ふだん、人付き合いに慎重な自分をどこかへおいておいて、気が合うかどうか? もよくわからないのに、ただ「好きだー」と心の中で暴走してしまったりする男性は後を絶たないものです。

もちろん、そんなふうに、何も考えずに「好きだー」と思ってしまうのが恋のいいところであります。けれど、何度か同じ失敗をしているのだったら、少し立ち止まって「なぜ、女のこのこととなると、こういう失敗をしてしまうのだろう?」と考えてみてもいいと思うのです。

今日は、相手を「好き」と思う気持ちと、好きな相手を「理解できるかどうか?」の違いについて、考えてみることにします。


某鉄鋼メーカーで働くWくん(28才)は、職場の同僚のJちゃん(28才)と、とても親しくしています。仕事帰りに飲みに行ったり、休日にふたりで出かけたり……。ふだんの自分だったら、女の子と出かけるなんて、ただそれだけで緊張してしまうのに、Jちゃんのことはあまり女性として意識しないですむというか、いっしょにいても気の合う友人といるようでとても気楽なのです。

こんなふうに、入社以来、何年も親しくしてきたふたりなので、Wくんは彼女ができるたびに、いつも恋人にJちゃんを紹介していました。

ところが、彼の恋人とJちゃんが仲良くなった試しがありません。これまで、学生時代からの恋人と、社会人になってから2回かわった恋人の3人をJちゃんに紹介しましたが、Jちゃんだけでなく3人の彼女もみんな、

「…‥気が合いそうもない」

というのです。

Wくんの3人目の彼女にいたっては、

「Jさんって怖い。あの人と仲良くしないで。あの人と今までみたいに会ったり出かけたりするなら、私はWくんと別れる」

とまで言い出したほどでした。そのことばを正直にJちゃんに伝えたところ、

「いいよ。もう仕事だけの付き合いにして、出かけたりするのはやめよう」

とあっさり言われ、Wくんは少しさみしい思いをしたほどでした。

ところが、けっきょく彼女とも別れることになり、Wくんは人気のない職場のロビーでJちゃんにつらい気持ちを打ち明けました。

「また彼女とダメになっちゃった。なんで、うまくいかなかったんだろう…」

すると、Jちゃんはこう言ったのです。

「…Wくんが連れてくる女の子って、いつも同じタイプじゃない。目をうるうるさせて、かわいそうな私みたいな顔して、彼氏さえいれば友だちもいりません、みたいな。一極集中型っていうか、恋愛至上主義みたいな…。たしかに、ああいう子ってかわいいけど、独占欲が強いっていうか『私だけを見て』っていう考え方なんじゃないの? Wくんみたいに、仕事人間で、趣味人間でさ、彼女だけに時間を割く気がない男は、相手をするのがむずかしいんじゃないの?」

なんて、キツいことをいうのです。Wくんがボーゼンとして黙っていると、

「付き合う女の子は、ああいうタイプが好きっていう気持ちはわかるけど、そろそろ気が合うとか、人間として好きかとか、そういうことも考えて恋愛したほうがいいと思うよ」

Wくんは、ショックを受けながらも、Jちゃんの言いたいことの意味をアタマでは理解できた気がしました。そこで、恐る恐る、

「…もしかして、それって、Jちゃんというか、Jちゃんみたいなタイプと付き合ったほうがいいっていうこと?」

Jちゃんは顔を真っ赤にして、

「何言ってるのよ。そういう意味で言ったんじゃないの。ただ、女の子に対してね、好きだけを優先しないで、友だちになれるか? とか、そういう要素についても考えたほうがいいって言いたかったの」

というと、怒ってスタスタとをロビーを立ち去っていったのでした。


同性同士だったら、友人関係であれば、しないであろう失敗をしてしまう……恋愛においてはよくあることです。

同性同士だったら、話をするきっかけもなかっただろう相手と、付き合っちゃったりできるのも恋愛のいいところではあります。

けれど、いつもいつも、別れてから「彼女とはただ『好き』で突っ走っただけで、友だちにはなれなかったなぁ。人間的に苦手と思う部分もあったかも」と思うことがある。

そんなようなことが原因で、恋愛がうまくいかないのだったら、次に恋愛するときはぜひとも、彼女と「気が合うかどうか?」を考慮してみてほしいと思います。

恋愛ではなく、家族関係、人間関係に共通していえると思うのですが「好き=理解し合える」が必ずしもいっしょとは限らないものです。母のことが好きだけれど、息子として、彼女は理解できない。兄のことは好きだけれど、男として理解できないタイプの人間だと思う。そういうことは、よくあること。

恋愛にも同じことがいえるわけで、好きになった相手が「理解できる(できそう)相手」とは限らないものなのです。

短期的にパーッと燃えるような恋愛がしたいのでしたら、「好き」だけで暴走するのもいいと思います。けど、できれば、恋愛したら長くお付き合いしたい……というのであれば、ぜひとも「この人と友だちになれるだろうか? 女としてだけでなく、人間としても好きだろうか? 理解し合えそうな予感はするか?」という点について考えてみてほしい。

好きと理解し合えるは、必ずしもセットになっているわけではない……そのことをアタマの片隅においておいて、いつか恋愛する機会がきたら、チラッと思い出して考えてみてほしい。それができると、長つづきする恋愛になるのではないかしら……と私は思います。


こんにちは、酒井冬雪です。夏が近づき、暑くなってきたので、睡眠不足でヘロヘロになっています。反対に、夏海という名前の私の妹は、食欲モリモリ、お肌もツヤツヤで元気そうです。名前に季節を入れたりすると、自然に、得手不得手な気持ちが入ってしまう。そんな気がする今日この頃です。では、またね。