箱根登山鉄道は、神奈川県の小田原駅から強羅駅までを結ぶ本格的山岳鉄道。現在は小田原~箱根湯本間で小田急ロマンスカーなどが行き交い、箱根湯本~強羅間で登山電車が走っています。2014年秋には新型車両3000形もデビューするそうで、先日、デザインと概要も発表されました。新型車両の導入は1989(平成元)年以来、25年ぶりとのこと。

今回は箱根登山鉄道の新型車両導入を記念する意味も込めて、いまから38年前、1975(昭和50)年に撮影した、昭和の時代の箱根登山鉄道の写真を紹介しましょう。

モハ1形のトップナンバー101

日本を代表する温泉観光地のひとつ、箱根への足となる箱根登山鉄道は、登山電車特有の急勾配とスイッチバックに加え、3線軌条も有名な路線です。

1975年当時の箱根登山鉄道は、吊掛式モーターを搭載した、いかにも登山電車らしい古いスタイルの車両ばかりでした。中には1919(大正8)年の開業時に製造された木造ボギー車の車体を乗せ替え、足回りを改造・更新して使用されていた車両もありました。それがモハ1形のトップナンバー101(写真1・2)です。同車両は2002年に廃車となりましたが、同族のモハ1形4両はいまも現役で活躍中です。

発車を待つ小田原行モハ2形114。屋根上の抵抗器と運転室直下の水タンクが特徴

小田原駅に入線するモハ2形109。いまも現役で活躍している

一方、当時もいまも変わらないのが、箱根登山鉄道名物のスイッチバック。それと3線軌条も、規模は縮小されたものの、現在も残っています。かつて小田急の電車が乗り入れる小田原~箱根湯本間が3線軌条の区間となっていましたが、その後の運行形態の変更により、現在は登山電車の検車区がある入生田~箱根湯本間のみ残されています。3線軌条が廃止された小田原~入生田間は、自社車両が走行しない区間となっています。

筆者は1975年当時、この3線軌条やスイッチバックを、モハ2形109に乗車しながら撮影していました。写真の下側に写り込んでいる丸いものは、ハンドブレーキです。

小田急線急行新宿行と交換。奥に東海道線の113系が小さく写る。高架は東海道新幹線

3線軌条の複雑なポイント。左は安全側線

急勾配に挟まれたスイッチバック(写真右側が箱根湯本方面、左側が強羅方面)。強羅への上りは80/1000の急勾配

終点の強羅駅は当時、1面1線のホームを前後に分けて、降車用・乗車用として使用していました。同駅へ列車が到着すると、まずホームの箱根湯本方の降車ホームに停車して客扱い。その後、ドアを閉じて終端の乗車ホームへ移動した後、上り列車となっていました。列車が出発する際、降車ホームを通過するのかと思いきや、渡り線を使用して側線を通過し、箱根湯本・小田原方面へ旅立っていきました。

強羅駅に到着した列車。まずは箱根湯本方で降車終了

乗車客が待つホーム終端へゆっくりと移動してきた箱根湯本行

側線を通過して出発する箱根湯本行。ホーム中央に出発信号機が設置されている

新製時から強羅駅常備だったモニ1形

撮影当時、強羅駅にはピカピカの新車もいました。事業用車のモニ1形(写真11)です。まるで無蓋車に運転室を取り付けただけのような強羅の主、モニ1形。1975年に製造された同車両の新製時の塗装は、電動貨車らしく質実剛健を地で行くようなグレー1色でした。しかし近年になって、オレンジ色に塗り替えられたようです。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1975年3月 箱根登山鉄道 箱根湯本駅
写真2 箱根登山鉄道 強羅駅
写真3
写真4 箱根登山鉄道 小田原駅
写真5 箱根登山鉄道 箱根板橋駅
写真6 箱根登山鉄道 風祭駅
写真7 箱根登山鉄道 上大平台信号場
写真8 箱根登山鉄道 強羅駅
写真9
写真10
写真11
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った