今回は当連載73回ということで、旧型国電72系電車の代表車種「クモハ73」を特集します。クモハ73を含む72系電車は元祖4ドア20m車。現在、JRや私鉄各線で活躍している通勤電車のルーツとなった形式です。
最盛期の1950年代には約1,450両を所有し、当時の通勤電車の一大勢力となった72系電車。うち約330両が、電動制御車である「クモハ73」だったそうです。この車両も旧型国電特有の改造や編入などにより、さまざまな前面スタイルが存在して……。と思いきや、意外にも大きく分類すると2種類のみ(試作車などは除く)という、シンプルな形式でした。モハ63を整備・改造して生まれた「原型」スタイルと、経年劣化が進んだクモハ73を、全金属車体に乗せ替えた「近代化改造」スタイルです。
中でも近代化改造スタイルの車両は、同サイズの規格ガラスを3枚使用したため、中央の窓が縦長になった独特の前面となりました。
とはいえ、そこは複雑怪奇な改造で知られる旧型国電。前面原型スタイルも近代化改造スタイルも、さまざまなバリエーションが存在しました。
原型スタイルの場合、後年になって前面窓をHゴム化改造した車両があり、その内容も、「運転席のみ1枚」「運転席と中央窓2枚」「3枚すべて」などさまざま。サイズが違うガラスを組み合わせて使用した車両もありました。
さらに一筋縄でいかないのが、44両に施工された近代化改造車の前面バリエーションです。前述の通り、近代化改造スタイルの車両は、「全金属車体に規格ガラスを3枚使用した前面」が基本ですが、それ以外の細部のルールはないのでは? と思うほどに、改造工場や改造年により、方向幕の有無、母線や空気作用管露出の有無、運行番窓Rの大小、縦樋露出の有無など、さまざまなバリエーションがありました。
掟破りともいえる、前面窓高さが低い車両もあったほどです。クモハ73088(写真5)とクモハ73277(写真6)の、前面窓高さを比較してみてください。それぞれ、前面窓上辺の延長線を、側面窓上辺とドアHゴム上辺に重ねてみると、高さの違いがわかると思います。
近代化改造は、当時の国鉄工場、大井・大船・浜松・吹田・鷹取・幡生の6工場で施工されました。前面窓が低く、運行番窓R大という掟破りな車両は吹田工場製のみの特徴でした。
吹田工場最大の変形車といえるのがクモハ73359。近代化改造車の特徴である「全金属車体の平滑なボディー」の原則を無視し、窓の上下に帯(シル・ヘッダー)が付いていました。帯が付くだけで、原型車に"お手軽改造"したかのようなチープ感が漂っていました。
国鉄工場のひとつ、大井工場で施工された近代化改造車の大半は、運行開始後、なぜか縦樋を露出させるという再改造がありました。
クモハ73109。縦樋露出再改造。運転席窓下の丸型通風器は大井工場オリジナルタイプ。助手席にも通風器がある変形車 |
クモハ73259(写真右)。大井工場施工ながら、唯一、縦樋露出の再改造がなかった車両。通風器2個の変形 |
こうして近代化改造車を分析してみると、とくに大井工場と吹田工場で改造された車両に特徴があることが見て取れます。ということは、東西の両工場同士で、改造に試作的要素を取り入れていたのか? あるいは改造の出来を張り合っていたのか? などと勘ぐってしまいます。謎は深まるばかり、ですね……。
「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所
撮影時期 | 撮影場所 | |
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写真1 | 1979年10月21日 | 鶴見線 国道駅 |
写真2 | 1978年1月15日 | 南武線 中原電車区 |
写真3 | 1979年8月31日 | 横浜線 新横浜駅 |
写真4 | 1979年4月22日 | 御殿場線 山北駅 |
写真5 | 御殿場線 国府津駅 | |
写真6 | 1979年6月24日 | 横浜線 中山駅 |
写真7 | 1979年4月22日 | 御殿場線 国府津駅 |
写真8 | 1977年9月 | 青梅線 白丸駅 |
写真9 | 1977年11月 | 南武線 中原電車区 |
写真10 | 1981年3月18日 | 可部線 可部駅 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った