廃止された路線の一部が奇跡的に復活!? 先日、JR西日本と広島市が、可部線の可部駅以北で電化延伸することに合意しました。2003年12月に廃止された非電化区間可部~三段峡間(46.2km)のうち、可部駅から約1.6kmの区間を電化した上で復活させ、新たに2駅を設置し、2015年春の開業をめざすそうです。
JRが発足して以来、廃線が復活するのは全国でも初の出来事。可部駅以北では約11年ぶりに鉄路が復活することになります。
そんな可部線では、いまから30年近く前の1984(昭和59)年10月まで、ウグイス色にオレンジ色の警戒色が入った72系電車が走っていました。
可部線は1909(明治42)年、私鉄の軽便鉄道として一部区間が開業しました。その後、延伸を繰り返して可部駅まで開通し、1936年に国有化。三段峡駅までは国有化後の1969年に延伸開業しています。国有化直後は私鉄時代の車両を継承した「社形」の電車が活躍していましたが、1950年代に17m車のクモハ11・クハ16などに置き換えられました。
1976年、可部線に72系が投入され、それまでの車両を置き換えていきました。可部線の72系は1984年まで使用されました。
可部線で活躍していた72系は、クモハ73とクハ79が10両ずつの計20両。特徴は戦後直後に粗製乱造された「ロクサン」(63系)の面影を残した前面原型のクモハ73とクハ79が残存していたことです。その数、なんと20両中5両! 木枠の前面原型車がこれほど残っていたのは驚きでした。しかし、実際はアコモ改造されていて、側面の窓は「ナナサン」(72系の通称)の象徴・3段窓ではなく、アルミサッシ化されていました。
横川~可部間は電化区間ながら太田川と太田川放水路に沿って北上します。当時の沿線は山あり川ありでローカルな雰囲気が漂い、撮影ポイントも点在していました。
朝ラッシュ時間帯には、山陽本線海田市駅まで乗り入れて往復する運用もあり、山陽本線を走行する72系も見ることができました。また、当時は可部駅より先、三段峡方面への直通列車が数往復あり、72系に混じってディーゼルカーも運転されていました。
2日間にわたって撮影を行った可部線でしたが、じつはどうしても撮っておきたかった車両がありました。クモハ73のトップナンバー、クモハ73001です。しかし2日間とも工場に入場中で、その願いはかないませんでした。
最後の1枚(写真12)は可部線三滝駅でとらえたものです。駅員さんは出発した電車が見えなくなるまで、その姿をじっと注視していました。まさに「国鉄マン」という言葉がぴったり当てはまるような1枚となりました。
「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所
撮影時期 | 撮影場所 | |
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写真1 | 1981年3月18日 | 可部線 横川駅 |
写真2 | 可部線 可部駅 | |
写真3 | 1981年3月17日 | 可部線 広島運転所横川派出所 |
写真4 | ||
写真5 | 1981年3月18日 | 可部線 古市橋駅 |
写真7 | 1981年3月17日 | 可部線 上八木~中島間 |
写真8 | 1981年3月18日 | |
写真9 | 山陽本線 海田市駅 | |
写真10 | 1981年3月17日 | 可部線 上八木~中島間 |
写真11 | 可部線 梅林駅 | |
写真6 | 1981年3月18日 | 可部線 横川~三滝間 |
写真12 | 可部線 三滝駅 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った