1981(昭和56)年当時、東海道線、横須賀線、京浜東北線の電車が行き来する大船駅に、ときどき時刻表に載っていない行先不明の列車が発着していました。「ミステリートレイン」の存在を聞いた筆者は、早速大船駅へ。ホームの端でカメラを構えていると……、横須賀方面から茶色い電車を先頭に、なにやら見慣れない列車が姿を現しました。

見慣れない列車が大船駅に進入

先頭は茶色のクモハ12001

大船駅に現れた「ミステリートレイン」の正体は、当時の大船工場(後の鎌倉総合車両センター。工場部分は2006年3月に閉鎖)に入場し、「全般検査」を受けて、出場してきた車両です。「全般検査」とは、車の「車検」のようなもので、事故や故障を未然に防ぐため、走行距離や使用年数に応じて、すべての機器を取り外し、詳細に検査すること。その際に車両の内外も再塗装が施され、身も心もリフレッシュするのです。

この日、全般検査を終えて大船工場を出場してきたのは、いずれも沼津機関区所属の車両で、身延線で使用されるクモハユニ44803とクハ68093の2両と、試運転や回送列車に連結される控車(牽引車)クモハ12001の3両でした。

大船駅7番線に到着した出場列車。クモハ12のヘッドライトやクハ68(2両目の車両)のベンチレーターが塗りたてで輝いている

沼津方先頭のクモハユニ44803。汚れる前の床下が黒く美しい

クモハユニ44803の低屋根部。再塗装後の車体、パンタグラフ、避雷器、ホロが美しい

このとき撮影したのは旧型国電のみの3両編成でしたが、大船工場で全般検査を受ける車両は旧型国電ばかりではなく、静岡地区の113系や御殿場線用115系などもあり、入出場時に旧型国電と新性能車が混結するという珍列車も見られたようです。

東京方先頭のクモハ12001(写真3)は非常に特徴ある車両で、大糸線に配置されていた際の霜取り用パンタ台が残っていました。中央のドアは、通常は窓下に2つ付いていたO型のプレスが1つだけという、他に見たことがない変形ドアでした。

クモハ12001の屋根上に残るパンタ台(写真左)と変形プレスドア(同右)

大船駅へやって来たこの列車は、ここからが本番。列車番号を「試8393M」として大船駅を出発し、東海道本線を下りながら真鶴駅まで試運転を行うのです。試運転終了後は、真鶴駅より「回8393M」と列車番号を変え、沼津駅や富士駅まで回送されました。ちなみに、工場に入場する上り列車は、全区間で回送列車として運転されていました。

「試8393M」が大船駅7番ホームから出発

この「ミステリートレイン」こと大船工場入出場列車。ときどきしか運転されない列車でしたが、この列車の運転日・運転時刻を掲載した印刷物がありました。当時、国鉄の各鉄道管理局が毎日発行していた「局報」です。

わら半紙に印刷され、駅や各施設などの現場に配達されていた「局報」は2種類あり、「局報・甲」が営業に関する内容、「局報・乙」が列車の運転に関する内容を掲載していました。この「局報・乙」に、試運転・回送といった事業用列車から、臨時列車、団体貸切列車まで、すべての運転計画が載っていたので、当時の鉄道マニアたちの貴重な情報源でした。

筆者も、山手線のとある駅のホーム上にある事務室にて、「局報」を見せてもらったことがあります。ページをめくるたびに出てくる運転情報とダイヤは貴重なものばかりでしたが、コピーするわけにもいかず、必死になって書き写していたものです。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1981年1月30日 大船駅
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った