「脇役」といえば、映画・ドラマ・舞台などで、主役や重要な役以外の出演者を指す言葉。鉄道の世界において、この「脇役」の呼び名がぴったり当てはまる存在といえば、首都圏で活躍していたディーゼル機関車でした。

入換え・小運転から非電化路線での貨物列車牽引まで、活躍の範囲が広く、DD51、DE10、DD13といった個性的な機関車が、貨物列車の「主役」電気機関車の脇をしっかりと固めていました。その姿はまさに「名脇役」そのもの。今回は首都圏で活躍していたディーゼル機関車たちを紹介しましょう。

DD51 : 主役をも食う「助演」の存在感

八高線で貨物列車を牽引するDD51815。次位は回送のDD13。回送ながら珍しい重連となった

DD51809牽引の石灰石輸送返空ホキ列車が拝島駅に到着。この後、ホキ列車はED16の牽引で青梅線奥多摩駅へ向かう

DD51は本線用のディーゼル機関車です。当時の国鉄幹線で活躍していたSLを置き換える「無煙化」推進のため、1962(昭和37)年から1978年までの間に約650両が製造されました。現在はJR貨物をメインに、JR北海道・東日本・西日本で約70両が在籍しています。

当時の首都圏で、DD51が運用されていたのはおもに八高線と千葉地区で、貨物列車の先頭に立つ重量級の機関車の姿は主役さながらでした。当時の八高線は非電化路線ながら、石灰石やセメント輸送の貨物列車が多数設定され、重連の運用もありました。千葉地区においては、現在は電気機関車の牽引となっている「鹿島貨物」や、過去帳入りした「成田空港ジェット燃料輸送」などでも活躍していました。

DD13 : 地味ながら必要不可欠な「大部屋俳優」

DD13は入換え用で、1958年から1967年の間に約410両が製造されました。首都圏で見かけた最もポピュラーなディーゼル機関車で、端役を演じる名もなき大部屋俳優のように地味ながら、貨物駅やヤードでの入換えに必要不可欠な存在でした。

上野駅5番線に停車中のDD1326の小運転列車。ひとつ目玉の初期型

写真4は、秋葉原貨物駅発 田端操車場行の小運転列車を上野駅でとらえた貴重なカット。この写真を撮影した4カ月後の1975年2月、秋葉原貨物駅が廃止となり、この列車の運転も廃止となりました。現在、秋葉原貨物駅の跡地は秋葉原駅の駅前広場となっています。

相模線ホームから撮影した入換え中のDD13

ヤードに停車中のDD13170

隅田川駅で入換え中のDD13。この駅は開業以来、貨物専用のため、旅客列車の発着がほぼない

DD13に次いで珍貨車「控車"ヒ"」が連結されていた

写真8に映っているのは、隅田川駅に配置されていた「控車"ヒ"」。首都圏では非常に珍しい貨車です。当時の隅田川駅に存在していた急曲線により、車体が長い貨車と機関車を連結する際、連結器に食い違い(偏向)が発生するため、これを避けて連結を容易にすべく入換えの機関車に連結され、使用されていました。

DE10 : 勢力図を塗り替えた「ニューフェイス」

DE10は中型のディーゼル機関車で、1966年から1978年までに約700両が製造されました。先輩にあたるDD13が入換え用だったのに対し、ニューフェイスのDE10は入換えからローカル線の旅客・貨物牽引まで広汎に使用できるように開発されています。その汎用性の高さから次々とDD13を置き換え、入換え用ディーゼル機関車の勢力図を塗り替えていきました。そんなDE10も、いまJR各社に在籍するのは約190両にまで減少しています。

500番台のラストナンバー、DE10574

相模線からの貨物列車を牽引するDE10557

相模線南橋本駅発着のセメント列車を牽引するDE10

時は経って2012年、鉄道界に大きな衝撃が走りました。

老朽化したDE10を置き換えるべくJR貨物が試作した、国内のディーゼル機関車としては初となるハイブリッド機関車「HD300 900番台」(2010年製造)が、鉄道友の会ローレル賞を受賞したのです。それはデビュー直後の新人、しかも入換え用という「脇役」が、いきなり最優秀新人賞に輝くことにも等しい出来事。量産型1号機も登場したHD300が、「脇役」の勢力図を新たに塗り替えていくかもしれません。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1974年12月 八高線 拝島駅
写真2
写真3
写真4 1974年10月 上野駅
写真5 1974年9月 相模線 茅ケ崎駅
写真6 1976年2月 高島貨物線 横浜港駅
写真7 1975年6月 隅田川駅
写真8
写真9 1976年1月 総武本線 銚子駅
写真10 1980年9月11日 横浜線 橋本駅
写真11 1979年9月2日 横浜線 相原~片倉間(当時)
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った