千葉県の久留里線を走るキハ30形などの国鉄形気動車3車種が、12月1日をもって引退。新型のキハE130形に置き換えられ、姿を消します。

1970年代、キハ30形を含む「キハ35系」国鉄形気動車は関東近郊の非電化路線の主役でした。「タラコ色」といわれた首都圏色の前は、朱色とクリーム色のツートンカラーで活躍していました。今回はその頃の写真を紹介しましょう。

ブタ鼻ライト改造のキハ30形。駅員がタブレットを持っている

福井から転属してきたキハ30形。助手席上の増設されたタイフォンが特徴

まずはローカル色満載だった、相模線のキハ30形です。

首都圏色キハ30形2連の茅ケ崎行。特徴のひとつ、外吊り式ドアがよくわかる

キハ35系は、片運転台トイレ付きのキハ35形、片運転台トイレなしのキハ36形、両運転台トイレなしのキハ30形の3車種からなる通勤形気動車で、1961~1966年にかけて、全体で約410両が製造されました。

特徴は片側3ドア・ロングシートであることと、非電化線区特有の低いプラットホームにも対応するために、ステップ付きの外吊り式両開きドアになったこと。キハ35系は高度経済成長期によって乗客が増加していた関西や関東の大都市近郊の非電化路線に投入され、ラッシュ時などに大活躍しました。

続きましては、当時、通勤路線へと変貌を遂げつつあった川越線です。ラッシュ時に7両編成の列車も運行される一方、日中は2~3両編成の列車がのんびり走っていました。

地上時代の大宮駅川越線ホームに到着したキハ35形。その左側では旧型客車が停車中

高麗川行列車の最後尾のキハ35形。ヘッドライトがシールドビーム化改造されている

川越線の首都圏色キハ35形と、高崎線165系臨時列車が大宮駅に同時進入

ところで、関東近郊の非電化路線で活躍したキハ35系にとって、「相棒」と呼ぶべき車両が存在していました。キハ10系(キハ17系)気動車です。

キハ10系は、両運転台のキハ10形(トイレなし)・キハ11形(トイレ付き)、片運転台のキハ16形(トイレなし)・キハ17形(トイレ付き)を中心とした2ドアクロスシート車で、1953(昭和28)年から製造され、一族の総数約720両と国鉄を代表する気動車でした。

キハ10系は全国各地で見ることができましたが、筆者の撮影当時、相模線や八高線ではキハ35系と連結され、2~3両編成で活躍していました。

南橋本駅で上下列車の交換。キハ17形・キハ30形の2連が到着

拝島駅に進入する八高線下り列車。キハ17形・キハ35形・キハ17形の3連。右奥に青梅線72系が見える

写真8の列車の最後尾もキハ17形。その横に石灰石輸送のホキ、奥に72系もいて、当時の活気が伝わる

ちなみに、この記事を書きながら、キハ10系のクロスシートに肘掛けがなかったことを思い出しました。他の気動車より車体断面が小さいこともあって、どことなく貧相に見えた車内。一歩足を踏み入れると、関東近郊の路線ではなく、どこかの地方のローカル線に乗っているような錯覚に陥ったものです。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1974年9月 相模線 番田駅
写真2 相模線 茅ヶ崎駅
写真3 1980年8月28日 相模線 橋本駅
写真4 1975年2月 川越線 大宮駅
写真5
写真6 1977年11月 大宮駅北側
写真7 1974年9月 相模線 南橋本駅
写真8 1974年12月 八高線 拝島駅
写真9
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った