「青ガエル」の撮影会があるそうです。
「梅雨の時期だからねぇ~」……って、そういうことじゃなくて(笑)。
「青ガエル」こと元東急5000系の撮影会が、今月24日に長野県松本市のアルピコ交通(旧松本電気鉄道)上高地線新村車両所で開催されるのです。この車両は1986年に東急電鉄より譲渡され、2000年の廃車後、保管されていました。昨年には松本電鉄カラーから東急グリーンに塗り直され、東急時代の姿が蘇っています。ワンマン運転用に取り付けられていたサイドミラーなども撤去し、できるだけ東急時代の姿に戻したそうです。
当連載でも、旧5000系の東急時代の姿を蘇らせてみたいと思います。同車両は1980年、東横線からの引退、そして目蒲線(当時)への転属という節目を迎えていました。
東急初の新性能電車としてデビューした旧5000系。1954(昭和29)年に東急車輛で製造され、画期的技術を取り入れた革新的車両でした。おにぎりのように下ぶくれした丸みを持った車体は、航空機技術を応用した「モノコック構造」(張殻構造)によるもので、当時の超軽量車体を実現させました。外板と骨組みが一体となって荷重を負担する構造により、車体だけの重量を比較した場合、旧型車両より30%以上もの軽量化に成功したのです。
さらに台車や駆動装置、制御装置にも新機軸を取り入れ、騒音、電力使用、軌道保守などの低減を実現させた車両でした。
旧5000系は東急の最重要路線、東横線に投入されます。その斬新なスタイルは、吊掛け式の旧型車両のみで運行されていた東横線のイメージアップに貢献し、全国的にその名が知られるようになりました。当初は3両編成での運転でしたが、輸送力増強に合わせて4両、5両、6両と増加。1959年までの5年間に計105両が製造されました。
東横線のスターとして活躍した旧5000系でしたが、その後、7000系や8000系が東横線の主役になると脇役に転じ、活躍の場は徐々に当時の田園都市線(現在の大井町線大井町~二子玉川間と、田園都市線二子玉川駅以遠)へ移っていきました。
1977年、旧5000系の長野電鉄への譲渡が始まりました。すると、同車両の特徴である「車体長18m」「超軽量で軌道負担が少ない」「1~2両編成で走行可能」などが他の地方ローカル私鉄にも注目され、旧型車両置換えの"救世主"として、次々と譲渡されることになりました。1986年までに、北は福島交通から、南は熊本電気鉄道まで、譲渡された会社は計6社、譲渡された車両数は全105両中、約70両(部品取り用も含む)にもおよびました。いかに人気だったかがうかがえます。譲渡された旧5000系は、それぞれの路線で車両の近代化を進めることになりました。
東急線内での車両数を減らしていった旧5000系は、1980年3月のさよなら運転をもって、ついに東横線から引退。その直後の同年4月より、目蒲線転属へ向けた乗務員習熟用の試運転が開始されました。試運転列車はくしくも初登場時と同じ3両編成に組み替えられ、東横線でさよなら運転の先頭に立ったデハ5025・5026がここでも先頭車に充当されました。約2~3週間の試運転を経て、目蒲線での営業運転が始まったように記憶しています。
目蒲線での試運転は、朝ラッシュがひと段落ついた午前10時すぎに奥沢検車区を出庫し、目黒~蒲田間を数往復した後、夕方のラッシュ前に戻るというスケジュールでした。その出庫の様子です。
1980年以降、大井町線(1979年に田園都市線より分離)と目蒲線で活躍した旧5000系も、その後は譲渡と廃車が進み、1986年6月に目蒲線での運用が終了。7月に行われたさよなら運転を最後に全車引退しました。
東急線上から姿を消した旧5000系ですが、譲渡先の熊本電気鉄道では、両運転台化改造された2両がいまも活躍中です。車齢なんと55年! 四捨五入すると還暦という電車がいまも現役というのは驚きです。一方、都心の渋谷駅ハチ公口には、車体の一部をカットし、台車・床下機器を取り外したデハ5001が展示され、ハチ公に負けず劣らずの"渋谷のシンボル"と化しています。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 撮影場所 | 写真の説明 | |
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写真1 | 1980年3月16日 | 田園調布駅 | 東横線で行われた5000系さよなら運転会。この運転をもって 初登場時から活躍し住み慣れた東横線から引退した |
写真2 | 渋谷駅から折り返してきたさよなら列車。下り方の先頭には ヘッドマークを付けないという、さりげない演出が |
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写真3 | 渋谷駅 | 停車中のさよなら列車。この渋谷駅もやがて姿を消す予定 | |
写真4 | 1972年4月 | すずかけ台駅 | 田園都市線すずかけ台駅開通の頃は行先板を掲げていた |
写真5 | 1974年6月 | 鷺沼検車区 | 鷺沼検車区に並ぶ旧5000系。中央は5両のみ製造された クハ5150形 |
写真6 | 1980年4月2日 | 武蔵小山~西小山間 | ついに始まった目蒲線での試運転。3連の先頭車は、 東横線さよなら運転での桜木町方先頭車、デハ5026 |
写真7 | 西小山駅付近 | 試運転列車の後追い。こちらは東横線さよなら運転での 渋谷方の先頭車で、ヘッドマークを付けていたデハ5025 |
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写真8 | 1980年4月11日 | 奥沢検車区 | デハ5047ほか3連の試運転列車。デハ3472と並ぶ |
写真9 | 奥沢駅 | 出庫は画面奥の引上げ線にいったん入ってから上り線 へ転線し目黒へ向かった。写真左側には、名鉄に譲渡 されたデハ3700形が |
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写真10 | 目黒駅へ出発する直前の試運転列車。右は夕方 ラッシュ時に奥沢駅3番線から発車する目黒行となる デハ3470ほか3連 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った