103系が首都圏から姿を消して、早いもので6年が過ぎました。首都圏の通勤路線なら必ずと言っていいほど走っていた103系は、1963年から1984年までの21年間にわたって約3,450両も製造され、国鉄新性能通勤型電車の代名詞でもありました。
1970年代、首都圏の山手線など主要線区に投入された103系には、「新製冷房車投入→玉突き→非冷房初期車転出」という一定のパターンが生まれていました。それは1972年から新製冷房車の製造が始まり、さらに翌年から高運転台・ATC準備工事車の製造が加わり、集中的に山手線や京浜東北線に投入されたことから始まります。投入後の玉突きで、両線で活躍していた103系らしいスタイルの非冷房初期車が、ローカル通勤線区の横浜線や青梅線などに転出し、旧型国電の一部を置換えて新性能化を進めていきました。
そこで今回は、玉突き転属によって横浜線や青梅線へ転出され、旧型国電と一緒に走っていた頃の103系初期車を中心に紹介したいと思います。まずは横浜線から。
横浜線103系は、1972年10月、京浜東北線の予備車4両を利用して初めて運行開始。2年後の1974年、一挙に約70両の103系非冷房初期車が投入されました。
1978年、横浜線に画期的な出来事が起こりました。初の冷房車(冷房改造車)が登場し、運行を開始したのです。その翌年、さらに画期的な出来事が! なんと高運転台・ATC準備車が新製配置され、ピカピカの車体も誇らしげに運行を開始したのです。直通運転先の根岸線にATC導入が計画されたことによる投入でした(ちなみに根岸線のATC導入は1984年)。
横浜線の103系は1989年2月に引退し、205系に置き換えられました。
続いて青梅線の103系を紹介しましょう。青梅線へ103系が投入されたのは1976年。当初、京浜東北線から玉突き転属してきた4連での運行でしたが、翌1977年には増結用の3連が登場し、立川~青梅間の一部列車で7連の運行が始まりました。
奥多摩の山へ分け入る青梅~奥多摩間では、ローカル色の濃い風景の中を103系が走りました。
青梅線での103系の活躍期間は26年におよびました。その間、沿線の人口増加による輸送力増強のため、3連から10連まで(9連を除く)バラエティーに富んだ編成を見ることができました。特徴的なものとして、付属3連の五日市線内単独運用。72系+クモハ40の5連を、そのまま置き換えた4M1Tの強力5連。晩年には、立川~青梅間6連+4連の10連などもありました。
そんな青梅線の103系は2002年に引退。201系に置き換えられました。201系もまた、E233系の導入により、すでにJR東日本から撤退しています。一方、横浜線でも、103系を置き換えた現行の205系の代替として、2年後をめどにE233系が新造されるそうです。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 撮影場所 | 写真の説明 | |
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写真1 | 1979年8月31日 | 新横浜駅付近 | 朝もやの新横浜駅に進入するクハ103他7連。当時の ハマ線名物"非冷房初期車混色編成" |
写真2 | 1979年3月28日 | 大口~菊名間 | 好ましいスタイルのクハ103初期車。大きな誤乗防止の ヘッドマークもハマ線名物だった |
写真3 | 中山駅 | 国鉄臭漂う中山駅で交換する103系と72系。撮影の前年、 小机~中山間の複線化が完成した |
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写真4 | 1979年7月31日 | 小机駅付近 | クモハ103を先頭にしたオール冷房改造の7連 |
写真5 | 新製直後のクハ103-777が先頭の7連。台車や床下機器 までピカピカ |
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写真6 | 1979年9月10日 | 東神奈川~大口間 | 103系7連の冷房改造車と、165系・153系併結による急行 「東海・御殿場」が行き交う |
写真7 | 1978年2月17日 | 青梅駅 | 72系と並んだオレンジ色のクハ103。初期車の特徴だった 前面窓下の通風口が塞がれている |
写真8 | 1980年10月26日 | 御嶽駅 | 御嶽駅に到着したクハ103他4連。方向幕は101系のものを 使用したため、隙間があいている。ライトはシールドビーム 2灯化改造済み |
写真9 | 1978年2月 | 青梅駅 | 青梅駅に留置中の増結用3連 |
写真10 | 1977年9月 | 鳩ノ巣駅 | 石灰石輸送の専用貨物列車と交換する103系4連。ローカル色 満点! といった雰囲気 |
写真11 | 石神前駅 | 立川行が入ってきた。木造の駅舎は2002年に解体撤去 | |
写真12 | 1979年 | 横浜線 | 交換待ちでちょっと一服……。これも懐かしき国鉄時代の風景 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った