昨年9月の台風15号の被害を受け、一部区間が不通となっていた身延線の復旧工事が完了し、3月17日に全線での運転を再開しました。
身延線は、東海道本線富士駅から富士山の西側を流れる富士川に沿って北上し、中央本線甲府駅を結ぶ約88㎞の路線で、いまから31年前、1981年8月まで戦前形旧型国電が走っていました。関東・関西で活躍した後、身延線へ転属し改造された、ひと癖もふた癖もある"古豪"たち。一度見たら忘れられない、特徴ある車両ばかりでした。
その最大の特徴が、電動車のパンタグラフ部分が低い「低屋根車」です。
身延線では、私鉄時代に建設された小断面のトンネルを拡張しないまま電化しました。そのため、パンタグラフ折りたたみ時に架線と一定の距離が保てず、電動車の屋根の一部分をざっくりと切り取り、その部分を低くすることでクリアしたのです。
究極の低屋根車、クモハユニ44800番台も活躍していました。クモハユニ44は1935(昭和10)年に横須賀線用に製造されたもので、ひとつの車両に客室・郵便室・荷物室がある合造車でした。身延線へ転属した際、パンタグラフ部分のみでなく、屋根全体を250㎜低くした「全低屋根車」となり、その異様な姿は強烈な印象を残しました。
身延線への転属が遅かったクモハユニ44803は、パンタグラフを後部に移設し、その部分のみ低屋根化したので、原型に近いスタイルを残していました。
さらに、115系そっくりの電車も走っていました。戦後製の72系を種車にした改造車で、足回りをそのまま使用し、115系300番台のような新性能近郊形ボディーを新製して乗せ換えたのが、クハ66とモハ62です。種車の台枠側面が垂直だったので、115系のように車体の裾を絞ることができず、その部分のみ垂直となっていました。
1981年8月、戦前形旧型国電はワインレッドの115系に置き換えられましたが、このクハ66とモハ62はそのまま使用され、1984年1月に引退となりました。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 撮影場所 | 写真の説明 | |
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写真1 | 1981年7月23日 | 波高島駅付近 | 身延線名物クモハユニ44を先頭にした4連 |
写真2 | 1981年4月26日 | 竪掘~入山瀬間 | うっすらと見える富士山をバックに行くクハ68ほか4連 |
写真3 | 富士電車区 | ざっくりと屋根が切り取られたクモハ60800番台の低屋根部。 車内の天井も低くなっていた |
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写真4 | 低屋根部の連結面はほぼ正方形。右のクモハ51830は、 もともと両運転台車のクモハ42を片運転台化・3ドア化し クモハ51073となった後、低屋根化された古兵 |
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写真5 | 1981年7月23日 | 柚木駅 | 屋根がペッタンコに近い印象のクモハユニ44801 |
写真6 | 富士電車区 | クモハユニ44のトップナンバー800 | |
写真7 | 波高島駅付近 | クモハユニ44803ほか4連 | |
写真8 | 身延駅 | EF15と並んだクハ66。これでもれっきとした旧型国電。 連結器とジャンパー栓がその証 |
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写真9 | 波高島駅付近 | クハ66ほか4連。足回りは古色蒼然とした旧型国電そのもの。 先頭クハ66の垂直な車体裾部分に光線が当たり反射している |
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写真10 | 富士電車区 | 3両のトップナンバーが並んだ。写真手前からクモハユニ44800、 クモハ60800、クモユニ143-1 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った