当連載第46回「青梅線ラッシュ時の"助っ人"クモハ40」でも紹介した青梅線旧型国電クモハ40は、1978年3月、72系とともに引退。その後、旧型国電なき青梅線で注目されたのが、石灰石輸送の主、旧型電気機関車ED16が牽引する貨物列車でした。

当時、青梅線に運転されていた貨物列車のほとんどが、奥多摩で産出される石灰石を輸送する「専用貨物列車」、通称「専貨」と呼ばれていました。「専用貨物列車」とは、拠点間を結び他の駅には停車しない、直行便の貨物列車です。青梅線「専貨」の場合、奥多摩発の上り列車は石灰石が満載。逆に下り列車の積み荷は空で、ホッパ貨車の返却という片輸送でした。

当時、この貨物列車はED16が牽引するのはもちろん、運転本数が多いことも特徴でした。奥多摩発の上り列車は、南武線浜川崎行が9本、拝島から八高線経由高麗川行(拝島からDD51牽引)が5本、合計14本も設定されていました。解結貨物列車も立川~奥多摩間で2往復ありました。

この列車密度の濃さが、休日になると素敵な出会いを演出してくれました。お相手は休日に運転された中央線~青梅線直通「特別快速」です。休日に臨時の直通特快が運転されると、貨物列車のダイヤが一部変更され、平日では見ることのできない貴重な交換シーンが出現しました。

ED16は、1931(昭和6)年から18両製造された中型電気機関車。中央線や上越線で活躍し、一部車両は関西の阪和線にも転属しましたが、その後、1970年頃までに全機が立川機関区に集結し、おもに青梅線・南武線で活躍していました。長年にわたり石灰石輸送に従事しましたが、製造から52年を経た1983年3月、ついに引退となりました。

ED16引退後、青梅線の石灰石列車はEF15やEF64が牽引しましたが、1998年8月にトラック輸送に切り替えられ、およそ100年におよんだ青梅線の石灰石輸送にも終止符が打たれました。

今回紹介した「鉄道懐古写真」

  撮影時期 撮影場所 写真の説明
写真1 1980年10月26日 川井駅付近 コンクリートのアーチ橋を行くED16牽引下り貨物列車
写真2 宮ノ平駅 石灰石満載の上り列車が宮ノ平駅に進入する
写真3 1977年9月 沢井駅 交換待ちの上り列車。石灰石が積まれた様子がわかる。
牽引機のED161は青梅鉄道公園に静態保存されている
写真4 1980年10月26日 二俣尾~軍畑間 軍畑鉄橋を行く列車を望遠で撮影
写真5 1975年11月 軍畑鉄橋は山側に柵がない絶好の撮影ポイントだった。
現在は山側にも柵が設置されている
写真6 1977年9月 沢井駅 沢井駅で101系7連の特快「おくたま」と交換
写真7 1980年10月26日 二俣尾駅 休日の夕方、ダイヤ変更のため二俣尾駅に2本の下り
貨物列車が停車する
写真8 写真7から数分後、貨物列車の間を101系の御嶽発新宿行
特快「みたけ」が通過。休日限定の交換風景が展開された
写真9 1978年2月 青梅駅 青梅駅に停車中の下り解結貨物列車。車掌車が懐かしい
写真10 1980年10月26日 御嶽駅 御嶽駅でED16牽引貨物列車と103系が並ぶ
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った