東急車輛で落成した105系が試運転を行ったのは、いまから31年前。地方のローカル線、とくに西日本で最後の奉公をしていた戦前型旧型国電を置き換えるべく、国鉄が新製した電車です。
105系の大きな特徴は、電動車1両でも走行が可能な「1M」方式を採用したことです。
1957年に登場した101系以降、新性能電車といえば長大編成を組む大都市圏での走行を前提に、電動車に関わる機器を2両に分散させた「2両1ユニット」方式でした。しかし、そんな新性能電車で2両編成の旧型国電を置き換える場合、2両とも電動車にせざるをえず、走行性能過剰・電力消費量などで不経済になってしまいます。
そこで、1両にすべての機器を詰め込み、電動車1両と付随車1両の「1M1T」で2両編成が組める車両として、105系が開発されたのです。
この試運転の後、105系は続々と新製され、1981年2月末に福塩線の70系を置き換えます。同年3月末には、朱色で登場したグループが、クモハ42を除く宇部・小野田線の戦前型旧型国電をあっという間に置き換えました(宇部・小野田線については、当連載でも後日紹介する予定)。
1984年には、奈良線・和歌山線の電化開業用と、可部線72系置換え用の車両が増備されますが、国鉄財政危機による予算削減のため、新製ではなく103系からの改造車となり、同じ105系ながら、新製の3ドア車と103系改造の4ドア車が混在することになりました。
ちなみにこの日、品川駅で105系を撮影している間に、電気検測車クモヤ193が京浜東北線のホームに突如現れました。新製車の試運転に電気検測車の運転と、大にぎわいの1日でした。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 写真の説明 | |
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写真1 | 1981年1月16日 | 逗子駅を出発し、品川駅7番線に入線する105系試運転列車。 見事なパンダ顔のクモハ105-1ほか4連 |
写真2 | 編成後半のクモハ105-2とクハ104-2。塗装は黄色に青帯の福塩線カラーだった | |
写真3 | 停車後にパンタグラフを降ろし、前面下に東急車輛の赤い手旗が出された。 先頭はクハ104-2 |
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写真4 | その後、「国鉄」「東急車輛」などの腕章を付けた関係者がチェックを開始 | |
写真5 | 入念なチェックが続く | |
写真6 | 車端下部の所属標記は、岡山鉄道管理局府中電車区を示す「岡フチ」だった | |
写真7 | 試運転時に見かける、検査機器からのケーブルが伸びていた。 この後、横浜方面へ出発していった |
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写真8 | 京浜東北線103系と並ぶクモヤ193。前面は183系1000番台にそっくりだった | |
写真9 | クモヤ193は、この写真を撮影した前年、1980年に新製された車両 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った