北陸の私鉄を撮影した中から、前回は福井鉄道南越線を取り上げました。続いて紹介するのはえちぜん鉄道の前身、京福電気鉄道の福井口車庫を訪れたときの写真です。
当時の京福電鉄は、国鉄福井駅を起点とした越前本線と三国芦原線、支線の永平寺線(えちぜん鉄道譲渡時に廃線)の3路線、計59.2㎞を保有していました。越前本線と三国芦原線が分岐する福井口駅に車庫があり、撮影のために訪問しました。
当時、活躍していた車両の多くが、関東・関西の大手私鉄より譲渡された"オールドタイマー"たち。筆者も見覚えのある車両が走り、車庫にも留置されていました。
そして福井口車庫で撮影している最中、何気なく車庫の奥の方へ行ってみると……、そこにはなんとも"カオス"な光景が。とんでもない廃車体があったのです!
テキ512は元国鉄アプト式電気機関車EC40で、ほぼ100年前に信越本線横川~軽井沢間がアプト式で電化された際、鉄道院(国鉄の前身)がドイツから輸入した機関車。当初は10000形と称していました。戦時中に京福電鉄に払い下げられ、アプト式の機器を撤去して使用されました。
ちなみにテキ512と同時に払い下げられたテキ511は、後に復元保存のため再び国鉄に譲渡されました。鉄道記念物に指定され、現在は「(旧)軽井沢駅舎記念館」に静態保存されています。
福井口車庫ではテキ9(写真9)も見ることができました。1920年製造の電気機関車で、貨物列車を牽引していました。廃車となった後の車体は、倉庫としてリサイクルされていました。
このテキ9と同時に製造されたテキ6は、廃車となり、いったんは車籍も末梢されましたが、後に動態保存のため車籍が復活、えちぜん鉄道へと継承されました。その後、再び車籍を末梢されましたが、今年完成した勝山駅の展示施設で動態保存され、11月には国内最古の動態保存機関車として展示走行も行われました。齢91の電気機関車が蘇るとは……、驚きです。
福井口車庫にはこんな車両まで留置されていました。
現役車両から大手私鉄の懐かしの車両、さらには驚愕の廃車体まで。京福電鉄の福井口車庫は、まるで鉄道模型のレイアウトにあるような場所でした。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 写真の説明 | |
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写真1 |
1977(昭和52)年 3月20日 |
福井口車庫に留置中のモハ281は、元東急のデハ3300形。左奥はモハ244で、 京福叡山線(現在の叡山電鉄)の車両に、車体を新造し乗せ替えたもの |
写真2 | 車庫を横目に、越前本線の福井行が福井口駅に入ってきた(写真中央)。 左側に見える勾配が三国芦原線 |
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写真3 | 三国芦原線から見た福井口駅。複線の越前本線と単線の三国芦原線が 分岐する、興味深い配線だった |
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写真4 | 車庫の横を走る三国港行モハ2006は、元南海のモハ1201形。 16両が譲渡され活躍した |
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写真5 | 福井口車庫に留置中のモハ301。元東急デハ3250形だった車両 | |
写真6 | 廃車されていたモハ263は、元京王の2400形。福井口車庫にて | |
写真7 | テキ512。貨物列車の牽引に活躍した電気機関車。1970年に廃車 | |
写真8 | 貨物列車の先頭にたつテキ531。国鉄に譲渡したテキ511の代替として 譲り受けた、元国鉄の電気機関車 |
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写真9 | 電気機関車テキ9。足回りを外し、倉庫として使用していた。 ユニークなボディーで、中央の扉には社紋が描かれている |
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写真10 | 加藤製作所のスイッチャー。背後に元南海モハ11001形の姿も |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った