湘南新宿ラインがこのほど、運行開始から10周年を迎えました。池袋、新宿、渋谷を経由して首都圏を南北に縦貫し、いまや特急「成田エクスプレス」も運転される重要な路線です。
同路線は田端駅付近から大崎駅まで、山手線に並行する山手貨物線を走行します。赤羽駅を発車した電車は、途中、池袋駅、新宿駅、渋谷駅、恵比寿駅に停車しながら大崎駅へ。
それにしても、新宿や渋谷など乗り入れ路線の多い大ターミナルに駅を作るのは理解できますが…、恵比寿や大崎に対しては、「なぜあんな駅に?」と思っている人もいるかもしれません。
じつは、これらの駅では山手貨物線の貨物駅跡にホームが作られています。新宿駅や渋谷駅のホームが山手線から遠く離れているのも、その影響によるものです。
恵比寿駅も、かつて貨物駅があった駅のひとつ。国鉄の貨物輸送末期まで貨物扱いがあり、通称「山貨」こと山手貨物線に設定された、数本の解結貨物(各駅に停まり貨車の解結をする列車)や時間調整で停まる列車が、恵比寿駅に停車していました。
当時、恵比寿駅に停車する貨物列車が、貴重なシーンを演出してくれました。それは貨物列車同士の離合です。当時の「山貨」には、EF58牽引の荷物列車が白昼堂々運転されていて、この列車も恵比寿で離合シーンを見せてくれました。
昔は貨物駅の前に日通もあり、どこか垢抜けない雰囲気のあった恵比寿駅。しかし、同駅の貨物取扱いは1982年11月に廃止され、その後、1996年3月に埼京線が恵比寿まで延長。翌年には、駅ビル「アトレ」が開業します。2001年12月1日より、湘南新宿ラインの運行を開始しました。
駅が大きく変貌を遂げるのと同時に、恵比寿の街のイメージも大きく変化し、いまではおしゃれな街として人気を集めています。下町風情の恵比寿の街を知っている筆者にとって、その変貌ぶりはまるでイリュージョンを見ているかのようです。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 写真の説明 | |
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写真1 | 2011年12月 | 恵比寿駅付近を走行する特急「成田エクスプレス」 |
写真2 | 1980年12月8日 | 恵比寿を通過するEF15牽引の貨物列車。1枚目の写真と比較すると、 窓の配置に特徴のあるマンションが現在も変わっていない |
写真3 | 1981年1月31日 | 時間調整のため、恵比寿駅副本線に進入する汐留発大宮操車場行の貨物列車。 当時、山貨と山手線の渡り線が存在した。背後にアメリカ橋とビール工場が |
写真4 | 1981年2月4日 | 東京機関区所属のEF15が恵比寿駅に停車中。ステップ下部が白く塗られている のが特徴だった。現在、留置中の貨車のあたりにアトレが建っている |
写真5 | 1980年12月18日 | 高崎第二機関区と東京機関区のEF15同士が離合する。EF15 154の後ろに つながれたDD13は、品川機関区所属で大宮工場入場のため回送中 |
写真6 | 1980年12月4日 | 5枚目の写真と同じ列車の離合を別の日に撮影。連結された貨車の両数で、 停車位置が違った。平日の午後2時40分頃に繰り広げられた風景 |
写真7 | 1981年1月31日 | 宇都宮機関区のEF58が牽引する荷2634列車と、EF65牽引の解結貨物列車の離合 |
写真8 | 荷2634列車は12時30分頃、恵比寿駅付近を通過していった | |
写真9 | 1981年2月4日 | 恵比寿を発車する列車に、大宮工場配給車代用の貨車や回送される 鮮魚専用冷蔵車が連結されていた |
写真10 | 1981年2月17日 | 雪の日に、EF65単機がEF15と離合する。現在、この位置から見る 恵比寿駅はすべて駅ビルの下となり、まるで地下駅のようになっている |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った