北陸地方を走る富山地方鉄道を舞台に、鉄道にまつわる人々のドラマを描いた映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』が現在、全国公開されています。
昭和の時代、富山地鉄のほかにも、北陸地方には多くの中小私鉄が存在していました。北陸本線を動脈とたとえるなら、まるで毛細血管のように私鉄の路線が延びていたのです。
中でも人気だったのが尾小屋鉄道。今回はその尾小屋鉄道の写真を紹介しますが……、残念ながらすべて廃線翌日の様子です。
廃線の情報を知り、撮影の計画を立てたのですが、なんとか都合をつけられたのは廃線翌日のみ。なぜなら尾小屋鉄道の営業最終日は、筆者の中学校の卒業式と重なっていたからです。泣く泣く卒業式当日の夜、上野発の急行列車「越前」に飛び乗りました。
尾小屋鉄道は、石川県の小松駅(北陸本線)に隣接する新小松駅から、尾小屋駅までを結んでいた全長16.8㎞の鉄道です。もともと尾小屋鉱山の鉱山鉄道として開業しましたが、鉱山の閉山やモータリゼーションの波に飲まれ、廃線となってしまいました。
尾小屋鉄道が人気だった理由、それはズバリ、日本で最後まで残った非電化の軽便鉄道だったこと。軽便鉄道とは、一般的な列車と比べて線路の幅が狭く、小型の車両を用いる鉄道を指します。尾小屋鉄道の軌間(レールの間隔)は762mmで、25.5cmの靴にしてたった3足分!
そんな狭いレールの上を小さな車両が走り、沿線には鉱山鉄道ならではの風景が繰り広げられていました。そこには、忘れ去られた昔日の軽便鉄道の情景が残っていたのです。
じつは、いまでも現役時代の尾小屋鉄道を映画・ドラマ作品で見ることができます。
たとえば、寅さんシリーズ第9作の映画『男はつらいよ 柴又慕情』のオープニングや、TBS系列で放映されたドラマ『キイハンター』など。『キイハンター』では、「荒野の列車大襲撃作戦」「蒸気機関車大渓谷の決戦」の2回連続で尾小屋鉄道が取り上げられ、貴重なSL牽引列車を舞台に、千葉真一が派手なアクションで大暴れしています。
尾小屋鉄道の廃線から34年、現在は小松市にある「いしかわ子ども交流センター小松館」で、尾小屋鉄道の車両の一部が動態保存され、定期的に運転されているそうです。
ところで、「中小の私鉄路線が毛細血管のように伸びていた」と冒頭で記しましたが、当時は小松駅からもうひとつ、私鉄の路線が延びていました。小松駅から鵜川遊泉寺駅までを結んだ北陸鉄道小松線(全長5.9km)です。こちらもフィルムに収めていたので、簡単に紹介します。
北陸鉄道小松線もまた、沿線に目立った観光地がなかったことが影響し、モータリゼーションの進行で利用者が大幅に減少してしまい、25年前に廃線となりました。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 写真の説明 | |
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写真1 |
1977(昭和52)年 3月20日 |
廃線翌日の新小松駅。役目を終えた車両たちがひっそりとたたずんでいた。 横を走るのは北陸本線の貨物列車 |
写真2 | 荷物用のデッキに、営業最終日の装飾がつけられたままのキハ2。新小松駅にて | |
写真3 | 新小松駅にたたずむ戦前生まれ(1937年製)のキハ1。 ガソリンカーとして登場したが、後にディーゼルカーに改造された |
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写真4 | キハ1の車内。軽便鉄道ならではの狭さだった | |
写真5 | 尾小屋鉄道では客車も活躍していた。先頭はホハフ3 | |
写真6 | 新小松駅の一角にあった「鉄道尾小屋線さよなら会」会場。 紅白幕が張られた大きなテントで、何が行われたのだろうか…? |
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写真7 | 蒸気機関車も引っ張り出され、留置されていた | |
写真8 | ホハフの横を、L特急「加越」が走りぬけていった | |
写真9 | 車庫を兼ねていた北陸鉄道小松線小松駅。日中は、 写真中央のホームに停車中の車両が、約60分ごとに運行されていた |
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写真10 | 小松線に配置された車両は5両のみ。写真9・10の2枚にすべての車両が 写っていた(写真9に4両、写真10に1両、計5両) |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った