前号で訪日外国人増加の経済的なインパクトの大きさを見てきましたが、これも東京五輪が終わればブームが去るのではないか、そして景気も失速するのではないかという懸念があります。
確かに前回(1964年)の東京五輪後に「五輪不況」と呼ばれる不況に陥りました。当時の日本はまだ高度経済成長が始まったばかりで都市基盤の多くが未整備で、そこから五輪に向けて新幹線や高速道路建設が突貫工事で進められました。さまざまな都市開発やプロジェクトが「すべては五輪のため」に集中的に行われたのでしたが、五輪後にその反動で景気が悪化したものです。
しかし五輪後の不況は1年程度で終了し、1965年(昭和40年)11月からは再び景気拡大に転じました。その景気拡大は1970年(昭和45年)まで続く戦後最長の好景気(当時としては)となり、「いざなぎ景気」と呼ばれる高度経済成長の絶頂期となりました。こうしてみると前回の東京五輪後の不況は一時的な不況でした。したがって「五輪後の不況」という点に関していえば、やや過大に語られているように思います。
今回も都内各地で再開発事業が進んでおり、一見すると似ているように思えます。しかし現在進行中のプロジェクトは五輪後も継続するものが多く、五輪後に新規に着手される事業も控えています。つまり、五輪で終わるわけではないということです。
また訪日外国人増加のレベルがここまで達した以上、その経済効果はそう簡単に消えてなくなるものではありません。例えば前号で紹介したように、化粧品の輸出増加のかなりの部分は、外国人が帰国後も日本製品をネット通販で購入し使い続ける、いわゆる「帰国後消費」によって起きている現象であり、五輪後にも持続するものです。こうした動きは幅広い産業分野に広がりつつあり、五輪後の景気を支える役割を果たすことが考えられます。
ギリシャは五輪後、景気が悪化し経済危機の遠因に
「五輪後の景気悪化説」のもう一つの根拠となっているのが海外の例です。実際、2004年のアテネ五輪後のギリシャ、2016年のリオデジャネイロ五輪後のブラジルなどでは、五輪後に景気が悪化しました。
ギリシャの場合、五輪後の経済悪化が2010年以降のギリシャ危機の遠因となったほどです。しかしその主たる原因は、政府の経済運営の失敗や無策にあったというのが実態です。私は2012~2015年にギリシャ危機の取材のために同国を3度訪問しましたが、そのときに見た光景が忘れられません。
同国では2004年のアテネ五輪に向けて新国際空港を建設したのですが、それ以前の旧空港の跡地が全く使われないまま放置されていたのです。広い滑走路や敷地には雑草が生え、空港ビルは廃墟でした。その時点で、新空港開設からすでに10年以上たっていたにもかかわらず再開発もなされていませんでした。まさに「五輪の負の遺産」であり、無策の象徴でした。「こうした経済運営が経済危機を招いた」と実感したことを思い出します。
英国は五輪後も外国人旅行者増加、GDP成長率拡大
しかし海外には五輪後の経済効果に成功した例もあります。2012年のロンドン五輪の場合、英国を訪れた外国人の数は五輪前から増加していましたが、五輪後にさらに増加し、外国人による消費額も五輪後に一段と増加しました。
英国の実質GDP成長率は五輪開催年の2012年は1.5%と前年から横ばいでしたが、翌年の2013年は2.1%、2014年は2.6%と、五輪後に拡大しています。当時はギリシャ危機が波及して欧州全体が債務危機に陥っていたため、EU各国の景気が悪化していましたが、英国政府は五輪効果の持続を重視した成果もあって、景気が好調だったのです。
1992年のバルセロナ五輪も成功例です。五輪開催以前のスペイン・バルセロナは実は衰退傾向にあったのですが、五輪後は観光都市として生まれ変わりました。スペインを訪れる外国人は五輪開催決定後に増加し、さらに開催後に一段と増加するようになりました。この傾向が現在まで続いており、今ではバルセロナは世界有数の観光都市であり、コンベンション都市となっています。
こうしてみると、五輪後も経済効果を持続することは可能であり、そのためには政策の進め方や取り組みが重要なのです。その点、今回の日本では「五輪後」への取り組みがすでに始まっています。政府は12月5日、総事業規模26兆円にのぼる総合経済対策を閣議決定しましたが、その3本柱のひとつが「五輪後を見据えた経済活力の維持向上」となっています。五輪後の実際の経済情勢によってはさらなる追加策の可能性もあります。以上のことを総合して考えると、五輪後に一時的な景気減速や小休止はありえますが、それが本格的な景気悪化につながるリスクは小さいと見ています。