10月14日の「鉄道の日」にちなんで、先週は一般紙誌でも鉄道の趣味的な記事が多かった。その中で蒸気機関車の保存に関する話題がいつくか見つかった。各地で保存された蒸気機関車は、動態保存に成功したり解体されたり。運命の分岐点にさしかかっている。
まずは明るい話題から。本誌既報の通り、京都鉄道博物館に展示されている230形233号機関車が国の重要文化財に指定され、10月14日の「鉄道の日」に記念式典が行われた。この機関車は1903(明治36)年に汽車製造合資会社で製造された。重要文化財に指定された理由は「国産初の量産型蒸気機関車」であることだ。
1872(明治5)年に日本の鉄道が開業して以来、1893年に国産初の機関車が製造されるまで、日本の機関車はすべて輸入品だった。国内生産が始まっても、しばらくはイギリス製のA8形をもとに、発注した鉄道会社向けに個別仕様で製造された。230形もA8形を手本として設計され、逓信省鉄道作業局から38両の発注が行われた。これが「国産初の量産型蒸気機関車」の根拠となっている。
230形の製造にあたり、日本人の小柄な体型に合わせた改良が行われたという。車輪・車軸をはじめ、一部の部品には輸入品を使用した。走行装置やシリンダーなどの製造は帝国陸軍大阪砲兵工場が協力し、国産技術が用いられた。
製造にあたった汽車製造合資会社は、日本初の鉄道頭となった井上勝が退官直後に設立した会社だ。奇しくも233号機関車の記念式典と同じ日、山口県の萩駅前にて、井上勝の銅像の除幕式が開催されたと読売新聞が報じている。製造費用など1,060万円は、市民からの寄付などで賄ったという。
同じく10月14日、神奈川県山北町の公園で静態保存されていたD52形70号機が自走した。東京新聞によると、圧縮空気を動力とし、この日のために敷設された12mの線路を走ったという。山北町は今後、町のイベントや行事と連動した形で月1回程度動かし、観光集客に活用したい考えだ。
10月11日には、常盤公園(山口県宇部市)内の石炭記念館に保存されたD51形18号機に関して、市民有志による補修が完了したと宇部日報が報道している。長年にわたる展示で腐食しており、9月以降、のべ11日間にわたる作業を実施。清掃、サビ落とし、古い塗装を剥がし、サビ止め、本塗装を行った。全国の鉄道ファンから交換パーツなどが提供されたとのこと。灯火類も復元され、11月27日に記念セレモニーを実施する予定だ。
岐阜県美濃加茂市では15日、小学校のグラウンドに展示されているC58形280号機の清掃作業が行われた。読売新聞によると、元国鉄職員や現役鉄道職員らでつくる保存会が春と秋に清掃作業を実施しているそうだ。屋根のある場所に安置されており、とても良い状態で保存されている。
一方で、残念なニュースもあった。読売新聞によると、長崎市は中央公園で43年間にわたり展示されていたC57形100号機の解体を決めた。長崎はトーマス・グラバーが日本で初めて蒸気機関車を試運転した「我が国鉄道発祥の地」で、蒸気機関車にはそのPRの目的もあったという。一方、中央公園は1994年から規模を拡大した「長崎ランタンフェスティバル」の会場のひとつでもある。
長崎ランタンフェスティバルには毎年100万人もの観光客が訪れる。そこでイベントの規模を拡大するため、C57形の移転を検討した。しかし「調査の結果、内部の腐食や劣化が進み、クレーン車でつり上げる作業に耐えられない」(読売新聞報道)とわかり、解体が決まった。2017年の長崎ランタンフェスティバル終了後、3月中旬から解体が始まる。
先月の話になるけれど、さいたま市中央区役所前に展示されていた9600形39685号機も解体作業が始まったそうだ。蒸気機関車は内部にアスベストが含まれるため、周囲を覆われてしまい、作業の様子は見られない。この機関車は国鉄OB有志による保存会によって、清掃などが定期的に行われていた。しかし、会員の高齢化などで定期作業は途絶えた。かつては運転台に入って遊べたという。
埼玉新聞によると、転落事故などを理由に2006年から内部への立入りは禁止されたとのこと。昨年10月の調査で、車体の腐食や風化が激しく、線路側も枕木が腐食して、地震で倒れるおそれが出てきた。安全を維持するための修繕に約5,000万円もかかるとわかり、解体となった。部品の一部は鉄道博物館に保管されるという。
鉄道車両の保存には覚悟と資金が必要だ
1970年代、各地で蒸気機関車が引退し、その一部は国鉄から自治体などへ無償で譲渡された。公園や公共施設に置かれ、保存してシンボルとなったり、遊具として親しまれたりした。保存形態はさまざまだ。屋内や屋根のある場所で保存された車両は状態も良い。雨ざらし同然で、保存というより放置状態となった車両は崩れていく。
機関車に限らず、メンテナンスをしなければ機械も腐る。腐食すれば危険物質の飛散だけでなく、尖った部分でケガをする。どのような場所に置かれても、塗装や補修を定期的に行えば良い状態を保てる。しかし、蒸気機関車に特別な思いのある人々は高齢化し、若い人々からの関心は薄れていく。
保存された蒸気機関車の解体が進む。そのきっかけは2005年のアスベスト問題だった。アスベストは繊維化した鉱石で、断熱性に優れるとして建物やボイラーなどに使われた。その一方で、古くから有害性や発がん性が指摘されていた。2005年、アスベスト原料加工工場の従業員や周辺に住む人々のがん死亡率が問題となり、2006年にはアスベスト健康被害を救済する法律や、アスベスト除去に関する法律が施行された。
アスベストに関する一連の動きを受けて、2005年にJRグループは保存された蒸気機関車の状態調査を実施した。保存された蒸気機関車は国鉄時代から無償で貸与された扱いになっており、資産を受け継いだJRグループは所有者だ。健康被害があれば責任を負う立場となる。断熱材は鉄板に覆われているため、管理が行き届いていれば飛散しない。しかし鉄板が腐食していれば、アスベストが空気中に露出するおそれがある。
この調査は危険度の高い保存車両を洗い出す目的だった。けれどもこの実態調査が、後の復活運転につながっていく。群馬県伊勢崎市の遊園地に保存されていたC61形20号機は2011年に復活し、「SLみなかみ」などの列車で活躍している。岩手県盛岡市の公園に保存されていたC58形239号機も2014年に復活し、「SL銀河」になった。
子供たちは各地で活躍する動態保存のSL列車に興味を持ってくれるし、幸いにもSL運転は増え、手軽に走行を楽しめるようになってきた。ビデオディスクや動画サイトのおかげで、蒸気機関車の走行シーンも手軽に楽しめるようになった。鉄道博物館も増えて、保存状態の良いぴかぴかの蒸気機関車を眺められる。もはや身近な公園に鎮座する「動かない機関車」に関心を持たないかもしれない。
蒸気機関車に限らず、雨ざらし状態の鉄道車両は朽ち果てていく。全国にそうした車両はたくさんある。実物に触れる機会は多いほうがいい。しかし、朽ち果て崩れゆく車両の姿は哀れだ。実物を残すには、きちんとメンテナンスする覚悟と資金が必要だ。「懐かしいから」「壊すには惜しいから」というだけで鉄道車両を保存してもいいだろうか。そのあり方について再考すべきときかもしれない。