静岡県がJR東海に対し、大井川水系の減水問題解決を理由にリニア中央新幹線の工事を認めない問題について、国土交通省が調整役として動き出した。8月9日、国土交通省、静岡県、JR東海が連名で合意文書を発表した。2027年度の開業目標に対し、ようやく最後の難関が突破されようとしている。
リニア中央新幹線の静岡工区が着工できない問題については、当連載第178回「JR東海と静岡県のリニア中央新幹線問題、2027年開業に間に合うか」で発端と経緯を紹介した。問題が広く知られるきっかけは、JR東海社長が5月の記者会見で、「未着工の状態が続けば開業の時期に影響を及ぼしかねない」と懸念を表明したこと。これに対し、静岡県知事が「事業計画の年次を金科玉条のごとく相手に押しつけるのは無礼千万だ」と厳しく批判した。
静岡県知事の発言の背景には、「静岡県の要望にJR東海が満足できる回答を出していない」という不満がある。JR東海と静岡県により協議される「静岡県中央新幹線環境保全連絡会議」が進捗していない。
静岡県は大井川上流中流の河川管理者であり、河川法では水利や環境に影響のある工事について、河川管理者の許可が必要となる。この部分で静岡県は、「JR東海から満足できる回答が得られるまで許可を出さない」という方針のようだ。事実、JR東海が工事用宿舎に電線や水道管を敷設するため、5月20日に申請した工事について、いまだ許可が出ないまま、3カ月が経過しようとしている。
静岡県公式サイトの「河川法に基づく許可申請書等」のページでは、標準処理期間は28日と記載されている。書類不備の訂正などは含まず、完成した申請書を受理してから28日間だ。それが8月12日現在も許可されていない。ここに静岡県が「河川使用条件以外の回答を待つ」という意図があるとみられる。
■JR東海と静岡県の“すれ違い”ポイントは
JR東海は全国新幹線鉄道整備法にもとづいて着工へ準備してきた。その中で環境影響評価の手続きも済ませている。2011年に「計画段階環境配慮書」を公表、「環境影響評価方法書」を公告。2013年に環境影響評価準備書の公告。2014年に環境影響評価書を国土交通大臣に提出し、環境大臣、国土交通大臣の意見を経て、最終的な「環境影響評価書」を公告し、工事実施計画の許可を得た。
JR東海だけでなく、多くの鉄道トンネル工事に関して、各河川の影響と水利については工事実施中に実際の影響を調査し、必要な対策を講じるという考え方だ。しかし、静岡県はそれを良しとしなかった。「環境影響評価方法書」と「環境影響評価準備書」の公告時点で、静岡県知事は「大井川水系のトンネル湧水をすべて大井川へ戻すべき」と要望していた。
ここから両者の考え方にずれが生じる。JR東海は「減量分を戻す」。静岡県は「湧水すべてを戻せ」となった。大井川水系のダムは渇水期間が長い。「これ以上水を減らすな」「渇水がなかった頃に戻したい」という気持ちはわかる。しかし、南アルプスの伏流水は大井川の分だけでなく、地下水に浸潤する分もある。湧水のすべてを大井川に戻した場合、地下水の枯渇、大井川の増水による環境影響も考慮する必要がある。
そこでJR東海は2014年に「大井川水資源検討委員会」を設置。学識経験者や技術者による環境保全措置の検討を実施している。一方、静岡県も2018年に「南アルプス自然環境有識者会議」「大井川利水関係協議会」を設立。JR東海に対して「大井川水系の水資源の確保及び水質の保全等に関する意見・質問書」を提出した。これに対し、JR東海は「原則として、全量を大井川に流す」と回答した。
■国土交通省の「大岡裁き」に期待
それでもまだ静岡県は納得しない。今度は湧水全量を戻す具体的な方法の説明を求めた。あわせて水資源の変化と建設残土による生態系破壊の予測と対策も求めている。JR東海側としてみれば、これらの手続きは着工後の調査と合わせて正しく予測して着実に実行したい。しかし静岡県側は着工前に示せという。これ以降、JR東海がどれだけ言葉を尽くしても、両者の話が噛み合わない。
JR東海としては環境アセスの手続きも済み、過去の鉄道トンネルと同等の科学的調査と「工事中および完成後の対処法」で十分という認識だった。しかし、静岡県はそれでは不十分という認識だ。その認識のずれを国土交通省が埋める形になる。
最近のやり取りでは、静岡県が論点整理のためにJR東海に提出した「中央新幹線建設工事における大井川水系の水資源の確保及び水質の保全等に関する中間意見書」に対して、JR東海が「中間意見書の回答案」を示している。「回答」とせず「回答案」とした理由は、意見を求めた上で決定したいという誠意の表れだろう。これに対して、静岡県が「静岡県中央新幹線環境保全連絡会議」委員らの質問を公開した。これでようやく、「文書の応酬」から「対話」へ進捗したように見える。
国土交通省の役割は、まず両者の意見・要求から「着工前にすべきこと」「着工後にすべきこと」を整理する。その後、JR東海に対しては具体的な説明を促し、静岡県に対しては、JR東海の回答を保証して着工を促す。
静岡県側としては、国土交通省の立会いの下、JR東海と「自然環境保全協定」「大井川水利保証の基本協定」を結ぶべきと考えている。JR東海の対策について、きちんと約束してほしいようだ。国土交通省の手腕が問われる局面になった。大岡越前のような、誰もがすっきりと受け止められる名裁きに期待したい。
南アルプストンネルは史上まれに見る大工事となる。工期の見積はあっても、実際にトンネルを掘ってみないことには、2027年の開業目標が達成できるかどうかわからない。予想外の出水、有害物質の露出などで工期が遅れるかもしれない。逆に、見込んでいたアクシデントが起こらず、工期が早まる場合もある。もっとも、こうした工期の変動は着手してからわかる。着手前の足踏みは想定外だろう。中央新幹線を前提に、沿線のさまざまなプロジェクトも動き出している。早期解決、早期着工を望む。
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