JR貨物は12月18日、北陸本線敦賀~敦賀港間の通称「敦賀港線」を廃止すると発表した。12月21日にはJR北海道が札沼線北海道医療大学~新十津川間の廃止を発表している。奇しくも廃止発表が重なり、寂しい。
しかし、敦賀港線は2009年以降、列車の運行がなかった。北陸本線との分岐点付近は線路が撤去され、北陸新幹線の工事用車両のための道路になっている。JR貨物は列車が走らない線路を10年間も維持したけれど、廃止は時間の問題だったようだ。
廃止されるとはいえ、敦賀港線の歴史を振り返れば、地域や国への貢献度は高い。福井県敦賀市では、敦賀港線を歴史的な鉄道遺産ととらえ、観光活用を検討している。これは楽しみだ。
■かつては国家的幹線ルートだった
敦賀港線は営業キロ2.7kmの非電化単線で、北陸本線敦賀駅から北へ進み、敦賀湾の湾奥に位置する敦賀港駅に至る。歴史は古く、1882(明治15)年に開業。当時の駅名は敦賀港駅ではなく、地域名から取った金ヶ崎駅だった。
敦賀港は古代から海運で栄え、とくに江戸時代は海運と近畿方面の陸運の中継地点として重要な港だった。戦前は敦賀港とロシア・朝鮮を結ぶ定期航路が開設され、航路に接続する列車が敦賀港駅に入線した。これらの国際便接続列車は「欧亜連絡列車」と呼ばれ、東京からパリなど欧州方面の乗車券も発売されていたという。
戦後に国際航路が廃止され、敦賀港線の欧亜連絡列車も休止された。ローカル列車の運行もなかったようで、1961(昭和36)年10月号の時刻表索引地図に敦賀港線は描かれていない。2012年に日本旅行が「サロンカーなにわ 欧亜国際連絡列車 100周年記念号の旅」を企画したけれど、列車の走行区間は敦賀駅まで。敦賀港線には乗り入れなかった。
1987(昭和62)年の国鉄分割民営化を機に、敦賀港線の旅客営業は正式に廃止され、貨物専用線としてJR貨物に継承された。当時、貨物列車の輸送量は年間で25万5,000トンあった。輸送品目はおもに化学工業品、食料工業品で、貨物輸送全盛期には石油・セメントなど鉱物の輸送もあった。敦賀港を出発し、福井鉄道をはじめ地域の私鉄に乗り入れる貨車もあったという。
しかしトラック輸送の普及によって、2006年度の年間輸送量は1万9,000トンまで落ち込んだ。1日1往復あった貨物列車も2009年に運行休止となった。JR貨物の輸送は代行トラックに切り替えられ、敦賀港駅はオフレールステーションとなった。
■敦賀港駅には鉄道遺産活用計画がある
福井新聞の12月20日付の記事「JR貨物が敦賀港線廃止の届け出」によると、敦賀市は福井県とともに、金ケ崎周辺の線路や駅などを鉄道遺産として活用し、蒸気機関車を走らせる計画を進めているという。
敦賀市は鉄道遺産を活用した観光に力を入れるようだ。今年度は小浜線の急行「わかさ」として活躍したディーゼルカー、キハ28形を購入。敦賀港駅付近の敦賀赤レンガ倉庫横に設置し、公開している。旧敦賀港駅舎は移設され、敦賀鉄道資料館になっている。
かつて敦賀港駅にあった転車台も敦賀市が保管しており、敦賀港駅付近で復元を計画している。敦賀港駅の留置線から約330m先に新たな転車台を設置し、蒸気機関車が前向きで往復できるようにしたい考えだ。動力は太陽光エネルギーを活用するという。
敦賀市は北陸新幹線の延伸開業までにこの計画の実現をめざしている。いままではJR貨物が保有する休止線路を借りる形だったため、交渉が難航していた。JR貨物が敦賀港線の廃止を表明したことは、むしろ計画を進めるために好都合だろう。しかし、JR貨物は敦賀港駅付近だけでなく、敦賀駅付近までの路線全体を買い取ってほしいという。路線全体を引き受けることになれば、計画の費用も跳ね上がる。
鉄道ファンとしては、敦賀港線の全線復活運転をめざしてほしい。北陸新幹線で敦賀駅へ行き、観光鉄道としての敦賀港線に乗り換え、敦賀港駅で観光したい。クラウドファンディングやふるさと納税など、鉄道ファンが資金的に応援できるしくみも検討してほしいと思う。