東日本大震災で被災してから今日まで、三陸鉄道は復興の象徴として、何度もメディアに登場し、ドラマの舞台にもなった。そして2014年4月6日、ついに全線で運行を再開した。

『線路はつながった 三陸鉄道復興の始発駅』(冨手淳著、新潮社刊)は、現場の職員自らが語る復興のドキュメンタリーだ。いままでテレビニュースなどで断片的に紹介されたエピソードを網羅し、報道時に感じた疑問の答えも見つかる。これから三陸鉄道を旅する人にもおすすめの1冊である。

三陸鉄道運行再開、朝の車庫で出発を待つ

被災、復旧、鉄道員の尽力と応援の声

三陸鉄道は岩手県の太平洋岸で、北リアス線・南リアス線を運行する。岩手県と沿線の自治体や企業が出資する第3セクター方式の会社である。国鉄の赤字ローカル線を継承し、未完成区間を整備して発足した。

赤字の廃止予定路線を運行する会社だから、赤字運営は覚悟の上だった。ところが、開業から10年間は好調で黒字決算。第3セクター鉄道のお手本と評価された。しかし11年目以降は赤字に転落し、厳しい経営事情となっている。

そんなとき、東日本大震災の津波が線路を破壊した。赤字ローカル鉄道の存亡の危機。しかし、存廃の議論が始まる前に、三陸鉄道社長はじめ社員たちは復旧に動き出す。このスピードがなければ、全線復旧はなかったかも知れない。

本書『線路はつながった 三陸鉄道復興の始発駅』は、4つの章で構成されている。

第1章「地震発生」は、被災状況の様子と復旧への初動をドラマチックに描く。三陸鉄道の被災と復旧については、吉本浩二氏の漫画『さんてつ』でも詳しいけれど、この作品に取材協力した人こそ、冨手淳氏であった。鉄道職員として当事者だった冨手氏から、さらに詳しい話が紹介される。

第2章「支援と自助努力」は、段階的な延伸復旧の様子と、メディアの報道をきっかけとした支援の広がり、タレントや企業の応援活動の紹介と感謝の言葉。「三鉄グッズ」や「被災地ツアー」誕生の舞台裏などが紹介されている。キャラクターグッズ「鉄道ダンシ」の開発背景には、三陸鉄道のしたたか……いや、たくましさにニヤリとした。

第3章「三陸鉄道マイヒストリー」は少し趣が異なる。著者であり、三陸鉄道旅客サービス部長でもある冨手淳氏の鉄道員人生を振り返りつつ、地方鉄道がいかに知恵を絞ってサービスを開発してきたか、という話がメインだ。三陸鉄道の経営状況の閉塞感を打開するために冨手氏が奮闘する。JRと連携し、震災前に運行していた魅力的な列車たちの誕生の経緯や、JR八戸線・釜石線・大船渡線と連携したダイヤ設定の話など、鉄道ファンには興味深い。

第4章「完全復旧へ」は、復興へ向けた話に戻る。NHK朝ドラ『あまちゃん』で、三陸鉄道北リアス線をモデルとした「北三陸鉄道」が登場した。そのエピソードのほとんどが、実際の三陸鉄道の出来事を題材としていた。とくに被災から復興にかけての話は、南リアス線・北リアス線の実話を巧みに組み合わせていたという。ロケに使われた三陸鉄道の駅などを詳しく紹介しており、『あまちゃん』ファンにも楽しめる内容だ。

なぜ鉄道で復旧したのか? 鉄道の価値とは?

東日本大震災は三陸鉄道以外にも多くの鉄道路線が被災した。各路線それぞれに復興へのドラマ、職員の熱い思いがあったはず。しかしメディアの扱いは三陸鉄道に集中した。それだけに目立ち、批判も寄せられたようだ。冨手氏はそれらの批判や疑問への答え、考えもていねいにつづっている。

そういえば、三陸鉄道ではクウェート政府の支援によって新しい車両が製造された。これも妙な話で、なぜ三陸鉄道だけ、クウェート政府から車両をプレゼントされたのか? クウェートと三陸鉄道に特別なつながりがあるのか? その答えもシンプルだ。じつは、クウェートは三陸鉄道を指名して支援したわけではなかった。詳しくは本書を読んでほしい。

クウェートからの支援で導入された新型車両。3カ国語で感謝の言葉が記されている

チョコレート菓子とのタイアップでラッピングが施された「キット、ずっと2号」

他にも、なぜJRの一部路線のようなBRTによる復旧としなかったか、DMVは検討しなかったか、被災したルートをそのまま復旧させたか……、などの疑問があったという。その理由にはそれぞれ説得力がある。

なぜ「バスではだめで、鉄道が必要」か? その問いに対する答えもある。それは東日本大震災の復興というより、日本の地方交通における「鉄道とは何か」という命題に対する明確な回答だ。三陸鉄道は設立当初から、「鉄道の真価」を見極め、事業にプライドを持って取り組んできた。だからこそ早期の部分復旧、そして3年後の全線開通につながったのだ。

「鉄道とは何か?」、その答えが本書にはある。

『線路はつながった 三陸鉄道復興の始発駅』に登場する鉄道風景

三陸鉄道 岩手県三陸海岸沿いに2つの路線を有する第3セクター鉄道。赤字のために廃止予定だった国鉄路線を継承し、未完成の延長線を完成させ、1984年から列車運行を開始した
北リアス線 宮古駅(宮古市)から久慈駅(久慈市)までを結ぶ71.0kmの路線。宮古駅でJR山田線、久慈駅でJR八戸線に接続する
南リアス線 盛駅(大船渡市)から釜石駅(釜石市)までを結ぶ36.6kmの路線。盛駅でJR大船渡線、釜石駅でJR釜石線・山田線と接続する
三陸縦貫鉄道構想 1896(明治29)年に発生した三陸地域の大地震と津波被害をきっかけに、陸の孤島と呼ばれた三陸地域を鉄道で結ぶ計画が発案された。しかし、国鉄の赤字問題により工事中断、途中まで開通していた路線も廃止が決定した。三陸鉄道はこの構想を継承する路線である
「キット、ずっと2号」 三陸鉄道36-105形気動車。東日本大震災で、南リアス線のトンネルの中で停車して難を逃れた「奇跡の車両」。食品メーカーによる三陸鉄道支援として、チョコレート菓子とのタイアップでラッピング塗装を施している
こたつ列車 36-110形気動車。掘りごたつタイプのお座敷車両。通年で運行している。冬季の誘客対策として、「こたつ列車」の愛称をつけた
「くろしお号」「おやしお号」 三陸鉄道初のレトロ車両。1989年の横浜博で運行された気動車を、会期終了後に岩手県が購入し、三陸鉄道に貸与した。老朽化のため、運行を終了。その後、ミャンマーに譲渡された
36-700形 クウェートからの支援により、3両が製造された。車体側面にアラビア語・日本語・英語で感謝の言葉が記されている