かつて、沖縄にも鉄道があった。しかし路面電車はバスに敗れ、「ケイビン」(軽便鉄道)は戦争で全滅。サトウキビを運んだトロッコもトラック輸送に切り替えられた。半世紀以上の鉄道空白時代を経て、2003年8月にモノレール「ゆいレール」が開業し、那覇空港~首里間を結ぶ。2013年は沖縄の鉄道復活10周年である。さらに沖縄の鉄道には未来がある。那覇と名護を結ぶ鉄道構想があり、与那原町もLRTの実現に熱心だという。

沖縄唯一の電車「ゆいレール」(写真はイメージ)

今回紹介する『沖縄の鉄道と旅をする ケイビン・ゆいレール・LRT』は、沖縄鉄道史の第一人者、ゆたかはじめ氏によるエッセイ集だ。沖縄の交通事情を紹介し、LRTによる未来を展望する。提言や解説がわかりやすく、廃線跡をめぐる紀行文も、本当に列車で旅をしているように楽しめる。モノレール以外の鉄道がない沖縄で、「鉄道旅行」を楽しむ方法はいまのところ同書しかない、と言ってもいいだろう。

現在の沖縄の鉄道事情がわかる1冊

本書は3つの章で構成されている。第1章は「LRT王国へと旅をする」で、沖縄の鉄道の未来を提案する。第2章は「沖縄の鉄道と旅をする」で、廃線跡をたどりつつ、かつて存在した鉄道のエピソードを紹介する。第3章は「ゆいレールと旅をする」で、現在運行中のゆいレールの沿線を紹介する。

『沖縄の鉄道と旅をする』

つまり、同書は沖縄の鉄道の「未来」「過去」「現在」の順で構成されている。時系列とは異なるけれど、読み進めば違和感はない。なぜならどれも、沖縄の「現在」がテーマとなっているからだ。LRTの構想は沖縄の公共交通の現状を見つめているし、かつて存在した鉄道の話も、廃線跡をたどりつつ、現在の様子に重ねている。「ゆいレール」は現在楽しめる鉄道だ。

歴史の紹介や未来の提案という主題となると、文章は難しくなりがちだ。しかし同書ではなるべく専門用語を使わず、やさしく、わかりやすい文章になっている。それはたぶん、版元が沖縄タイムスという地元の新聞社だからだろう。新聞は誰でも読み解けるように、義務教育を経たすべての人が読むという前提で文章を作っている。

一方、著者のゆたかはじめ氏は元裁判官で、独特な法令文書を駆使した人だ。難しいことをわかりやすく伝える極意で、新聞雑誌などで数々の連載を手がけてきた人物でもある。鉄道の著作も多く、鉄道ファンにとっては、「稀代の鉄道紀行作家・宮脇俊三氏を廃線跡紀行に誘った人」としても知られている。

実践したくなる廃線跡紀行

沖縄では現在、国が沖縄振興策として那覇と名護を結ぶトラムトレインの構想を掲げ、実現に向けた調査を実施している。トラムトレインは都市中心部で路面電車、郊外に出たら普通鉄道として高速運転する列車だという。沖縄県は独自に鉄輪式リニア方式の鉄道も構想しており、都市部では地下鉄となり、内陸部ではトンネルを多用するという。

『沖縄の鉄道と旅をする』の第1章は、街と調和するLRTと、そこに乗り入れるトラムトレインを提案。観光にも通勤・通学などにも利用しやすく、ぜひ実現してほしいと思う。しかし、そんな未来を待たずとも、第3章を読めばすぐに沖縄に行きたくなる。「ゆいレール」でめぐる那覇の旅は、楽しさにあふれている。

同書で最も紙数を割き、力を入れているのが第2章だ。「ケイビン」と呼ばれた沖縄軽便鉄道や、長崎市よりも早く開業したという路面電車、那覇~糸満間や与那原~泡瀬間を結んだという馬車鉄道について、すべての路線をていねいにたどっている。現在も見られる鉄道の遺構を紹介しつつ、その地域の歴史に触れ、風景を描写する。

当地を訪れた経験がある読者なら、その風景を思い出しつつ、新たな発見を得るだろう。筆者のように、まだ「ケイビン」などの廃線跡を訪れていない読者も、まるでその場を旅しているような気分になる。

実際に列車に乗っていないし、食べ物の話もあまり出てこない。しかし、同書は歴史解説書ではなく、鉄道紀行エッセイとして、いますぐ実践したくなる旅を描いている。そしてすべてを読み終えたとき、誰もがこう思うはずだ。

「ああ、当時の鉄道が残っていたらなあ」「ここに鉄道が復活しないかなあ」と。

『沖縄の鉄道と旅をする』に登場する鉄道風景

トラムトレイン 第1章で提案。街中ではクルマの乗入れを制限したトランジットモールを走り、郊外では高速鉄道として走行する。著者の構想は幹線3本、準幹線2本、環状線2系統。51ページに路線図がある
ゆいレール おもに第3章で登場。「ゆいレール」は沖縄都市モノレールの愛称で、那覇空港駅から那覇市中心部を経て首里駅に至る。さらにその先へ約4kmの延伸も決まった
沖縄県営鉄道 軽便鉄道の規格だったため、「ケイビン」「ケービン」と呼ばれて親しまれた。第2章で与那原線、嘉手納線、糸満線を紹介。嘉手納と名護を結ぶ未成線計画も触れている
路面電車 第2章で那覇港と首里を結んだ路面電車を追う。都ホテルの敷地に残る遺構は、近鉄出身の初代社長が「貴重な文化遺産だから手を触れるな」と言い残し、現在の従業員たちが守っているという
馬車鉄道 第2章で紹介。与那原~泡瀬間、垣花(かちぬはな)~糸満間、ふたつの路線を旅する。戦争で馬が徴用されたため運休、米軍の爆撃で破壊された
トロッコ 沖縄の基幹産業だった砂糖やサトウキビを運ぶため、「ケイビン」の駅と砂糖工場、農家を結ぶトロッコ軌道が無数に存在したという
ネオパークおきなわの園内鉄道 名護市の自然動物公園に作られた園内鉄道。「ケイビン」の名護線は実現しなかったけれど、「ケイビン」を後世に伝えたいと建設された。1.2kmの環状線で、沖縄でレールの上を走る列車はここだけ
KRTとCVS 1975~1976年にかけて開催された沖縄海洋博で運行された、日本初の新交通システム
サトウキビ鉄道ほか 南大東島で運行されていた鉄道。大東製糖が運行していた。他の島にも存在したトロッコも紹介している