東京駅丸の内駅舎が復原され、東京ステーションホテルが営業を再開した。その客室、2階2033号室の壁にふたつの額が飾られている。ひとつは松本清張氏の小説『点と線』の連載第1回のページ、もうひとつは当時の東京駅の時刻表だ。東京駅の「4分間の見通し」を描いた『点と線』は、いまでも時刻表トリックの傑作として読み継がれている。

現在は東京駅のホームも様変わりし、ダイヤも当時の面影はほとんどない。しかし、日本の列車の運行は、昔もいまもダイヤ通り正確で、その前提がなければトリックは成立しない。「時刻表トリック」は日本のミステリー小説ならではの分野といえるだろう。

※この記事は物語の核心、いわゆる「ネタバレ」に関する記述を含んでいます

特急「あさかぜ」で旅立った男女の心中事件

福岡県の香椎海岸で男女の死体が発見された。青酸カリを服用し、着衣に乱れがないため、心中事件として処理された。ベテラン刑事の鳥飼は、男が持っていた列車食堂の領収書に疑問を抱くが、それだけでは他殺の証拠にはならない。一方、死んだ男が疑獄事件の渦中にある人物と判明。警視庁の三原刑事は鳥飼の話を聞き、心中は偽装ではないかと疑う。

ところが、この男女は東京駅で博多行の特急「あさかぜ」に乗るところを目撃されていた。それも、たった4分間しか見通せない隣のホームからだ。誰が見ても心中という状況の中で、三原は目撃者の安田を疑う。安田は死んだ女が働く料亭の常連であり、死んだ男が勤める官庁に出入りする商人だった。しかし、安田には鉄壁のアリバイがあった……。

雑誌『旅』に掲載された『点と線』連載第1回と当時の時刻表

松本清張氏が滞在した部屋は、ホテルのリニューアルで2033号室になった

小説『点と線』は、日本交通公社の雑誌「旅」にて1957(昭和32)年から連載が始まり、その1年後に光文社から単行本として出版された。本文の末尾には「昭和32年のダイヤに基づく」という注記がある。当時は東海道新幹線も開業しておらず、横須賀線と東海道線がホームを共用していた時代である。だから現在の東京駅とはかなり様子が違う。もちろん中央線の高架ホームもなかった。

「4分間の見通し」はなぜ成立したか?

『点と線』の序盤のトリックである「4分間の見通し」は、横須賀線に乗ろうとした安田と料亭の女中ふたりが、13番線ホームから15番線の特急「あさかぜ」に乗り込む被害者たちを目撃したという事実である。「あさかぜ」が15番ホームにいる間に、13番、14番に列車が来ない時間帯が4分間だけある。その短時間の目撃は偶然ではなく、安田が仕組んだトリックではないか……、と三原刑事は疑う。

時刻表の東海道線東京駅の欄には、当時もいまも「発車時刻」のほかに「入線時刻」の表記がある。これは列車がホームに到着する時刻で、各ホームの列車の時刻を突き合わせれば、誰でも「4分間の見通し」を確認できる。その現実感が魅力のひとつだ。

同作品の「時刻表トリック」はこれだけではない。九州で犯行に及んだ安田が、じつは正反対の北海道の札幌にいたというアリバイがある。列車の時刻を追っていく三原刑事の視点に読者は引き込まれていく。ただ、飛行機なら実現できるという"オチ"に、「なんだ、時刻表トリックと思ったら飛行機か……」とがっかりするかもしれない。

当時の読者にとって、飛行機はまだなじみのある乗り物ではなかったから、ここで金持ちの乗り物である飛行機が出てくるとだまされた気もする。もっとも、安田は料亭に出入りする会社社長という設定だから納得はできる。現代の読者にとっては、「この時代にもう飛行機があったのか!」という意味でびっくりするかもしれない。

だが、松本清張氏のしかけた"トリック"はこれで終わろうとはしない。

安田は青函連絡船の乗船名簿に記帳し、青森行の急行「十和田」から電報を打っていた。そして、飛行機の搭乗記録に安田の名前はなかった……。安田や三原の行動を追っていくと、まるで昭和30年代の鉄道旅行をしているような気持ちになる。いまとなっては古い時代設定かもしれないけれど、権力に魅入られた人々の業、交錯する愛情など、人間模様は現代と変わらない。現代でもトラベルミステリーとして楽しめる作品だ。

ところで、新潮文庫版の解説で、東京駅での「4分間の見通し」について文芸評論家の平野謙氏が、「この4分間に必ず被害者男女がホームを歩いているという根拠がない」と指摘している。入線した「あさかぜ」にすぐに乗り込んでしまったら目撃されず、物語が成り立たない、という意味に受け取れる。これに対して、鉄道好きな人ならこう考えるだろう。列車がホームに入線しても、すぐに乗車できるわけではない。客室の準備や、機関車の付け替えが行われるまで乗客が待たされる、というのはよくある事例だ。

松本清張氏は東京ステーションホテルに滞在して執筆したという。この4分間に、「あさかぜ」の乗客たちがホームに佇む様子を見た可能性もある。指摘された部分については、松本清張氏らにとっては当たり前の風景で、いちいち書くまでもなかったのかもしれない。

小説『点と線』に登場する列車・駅

横須賀線 東京駅13番ホームに発着。安田が乗って妻の療養先の鎌倉へ向かう。横須賀線は正式には大船~久里浜間で、東京駅までは東海道線に乗り入れる形で運行していた。横須賀線が東京駅地下ホームになった時期は1980年から
特急「あさかぜ」 当時は10系などの旧型客車で、1等寝台車、2等寝台車、1等座席車、2等座席車、食堂車の構成だったという。単行本が出版された年の10月から20系ブルートレインとなった
急行「十和田」 上野発19時15分、青森着9時9分。安田が乗っていたと主張する列車
青函連絡船 青森発9時50分、函館着14時20分。安田が乗っていたと主張する
急行「まりも」 函館発14時50分、札幌着20時34分。安田が乗っていたと主張する列車
急行「さつま」 東京と鹿児島を結ぶ急行列車。安田のアリバイに登場する
急行「アカシヤ」 函館と旭川を結ぶ急行列車。安田のアリバイに登場する
急行「筑紫」 東京と博多を結ぶ急行列車。三原刑事が博多から東京に帰る際に乗車
市内電車 西鉄福岡市内線の路面電車。1979年に全廃
西鉄電車 現在の西鉄貝塚線。作中に箱崎で西鉄電車に乗り換えたという記述がある。1954年から市内線に直通運転していた
江ノ島鎌倉観光電鉄 現在の江ノ島電鉄。三原刑事が安田の妻を訪ねる
都電 三原刑事が警視庁前から新宿行に乗る。11系統(新宿駅前~月島通八丁目間)と思われる。1968年に廃止
東京駅 当時の東京駅のホームは、1・2番線が中央線、3・4番線が京浜東北線と山手線の上野方面、5・6番線が同品川方面、7・8番線がおもに東北本線・高崎線・常磐線、9・10番線は柔軟に運用されており、12・13番線はおもに東海道線と横須賀線、14・15番線は長距離列車専用ホームだった。現在は3階に新設された中央線ホームが1・2番線となり、2階ホームの番号は繰り上がっている。当時の12・13番線は現在の東北方面新幹線22・23番線、当時の15・16番線は現在の東海道新幹線14・15番線の位置とのこと。新幹線が頻繁に発着する現在でも見通せる時間があるだろうか?
西鉄香椎駅 当時は宮地岳線の駅で地上にあった。2006年に高架化された。宮地岳線は2007年に末端区間が廃止されたため、貝塚線という路線名になった
国鉄香椎駅 現在はJR九州の駅。駅舎は1996年に建て替えられた