ラジオ業界に関わる様々な人を掘り下げる連載「ラジオの現場から」。今回登場するのは、ニッポン放送『オールナイトニッポン』の金子司ディレクターだ。
現在は『三四郎のANN』、『ファーストサマーウイカのANN0』、『Creepy NutsのANN0』を担当。この秋から『オールナイトニッポン』のチーフディレクターに就任。また、クリスマス恒例の『第46回ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』も取り仕切ることになった。
番組内でも名前が挙がることが増えている金子ディレクターだが、実は学生時代に『ANN』を聴いた経験はほとんどないという。音楽好きからスタートし、地方FM局を経て、ニッポン放送に辿り着く意外な経歴から振り返っていただこう。
■「メチャクチャJ-WAVEが好きなんです」
――そもそも最初にラジオに触れたのはいつですか?
僕は群馬生まれなんですけど、ギリギリJ-WAVEが聴けたんです。……ニッポン放送じゃなく、いきなりJ-WAVEの話で申し訳ないですけど(笑)。このあともずっと関わってくるので、先にカミングアウトすると、メチャクチャJ-WAVEが好きなんです。ラジオ業界に入りたいと思ったのもJ-WAVEの影響ですし。親は音楽が大好きで、塾の送迎をしてもらった時に車の中で流れていたのが最初ですね。
――群馬だと東京のAMキー局は入らないんですか?
TBSラジオは強かったです。周りにも聴いている人が多いかなって感じでした。おばあちゃんも聴いてましたね。本当にそれぐらいの感じで、AMラジオ……それこそ深夜ラジオという文化を僕が知ったのも20代前半でのことでした。
――ご両親の影響もあって、金子さんは学生時代から音楽が好きだったそうですね。曲に触れるためにラジオを聴くという感じだったんですか?
親はピストン西沢さんの『GROOVE LINE』が好きだったんですけど、最初は自分からというわけではなく、トークと音楽をなんとなく聴いてました。中学で群馬を離れて、ラグビーをするために茨城の学校に入り、6年間テレビのない寮暮らしだったんです。
その寮で、NACK5の『(The Nutty Radio Show)おに魂』に投稿するのがちょっとブームになっていて。のちにラジオ業界に入ろうと就職面接を受けたときは「それでラジオを好きになりました」と言ってました。なんかそれっぽいので……(笑)。
――確かにそれっぽいです(笑)。実際は違うと?
本当にラジオが好きだなと思ったのは、大学生になって東京に出てくるんですけど、そのときに自主的にJ-WAVEを聴いてからですね。大学生だったので、ピストンさんの『GROOVE LINE』は毎日聴いてたわけじゃないですけど、中継コーナーの現場に行ったりしてました。
あとは、アンジャッシュの渡部建さんがやっていた『PLATOn』も聴いてましたね。星野源さんの『RADIPEDIA』も聴いていました。星野さんがすごい好きだったので。投稿して採用されたこともありました。
――今や星野さんの『ANN』の直後の時間を担当しているなんてすごいことですね。直接それを伝えたことはないんですか?
あえて言わないようにはしています。寺坂(直毅。構成作家)さんには言ったことがあるかもしれないですけど……。
■ラジオ業界を志望した理由
――結構積極的に番組に参加してたんですね。この時は明確に「ラジオが好きだ」という感覚になっていたんですか?
とにかく音楽が、なかでも洋楽が好きだったから、J-WAVEを聴いていて。投稿したのもその一端という感じでしたね。
――音楽へのこだわりが強かったと。“ラジオから流れる音楽を聴く”のはまた違う魅力がありますもんねぇ。
よく聞く話ですけど、偶然、ラジオから流れてくる音楽を聴いて、「これ、いい曲だなあ」と感じた時のほうが自分の中に刺さる気はしますよね。今はサブスクがあって、自分から聴きにいきますけど、それよりも偶然知った曲のほうが、よりその時のことを思い出すので。ラジオをキッカケで好きになった曲もたくさんあります。
――そこからラジオ業界を志望したのはなぜですか?
昔からなんとなくエンタメ業界に入りたいなとは思っていたんですけど、テレビ局の就職試験も受けたんですが、箸にも棒にもかからず……。それでどうしようかなと思っていたときに、たまたま地元のエフエム群馬が新卒採用をしていて。地方局は欠員が出たら補充するような状況だと思うんですけど、僕が大学を卒業する年に運よく募集していたんです。
もちろんその時点でエフエム群馬を聴いたことはなかったですけど(苦笑)。JFN系列なんですが、TOKYO FMすら聴いたことなかったですし、なんにも知らなかったんですが、「ラジオ業界に入りたい」という気持ちだけで入社しました。最終面接もフジロックの会場から行きましたね(笑)。スーツだけ近くのホテルに送っておいて。