ランボルギーニのガヤルドが昨年末で生産を終了し、先のジュネーブモーターショーでガヤルドの後継車となるウラカンが世界デビューを果たしたのは周知の通り。今回はガヤルドについて、筆者の記憶も交えつつ振り返ってみたい。
ガヤルドが登場したのは2003年。あのランボルギーニから、ちょっと小さめの「ベビー・ランボルギーニ」が出るということで、発売されるかなり前から話題になっていた。実際に発売されてみると、排気量が5リットルもあり、どこがベビーなのか、何が小さめなのか……、と思ったものだ。しかも外観は妙にさっぱりしていて、インパクトに欠ける。
上位モデルのムルシエラゴと同じテイストなのだが、あちらはシンプルさが不気味なまでの存在感になっていたのに対して、ガヤルドはちょっと地味に見えたものだ。
ちなみに、ベビー・ランボルギーニの系譜は1970年代に登場したシルエットに始まり、1980年代のジャルパへと続く。シルエット / ジャルパは3.0リットル / 3.5リットルのV8エンジンを搭載し、ルーフを取り外してオープンエアも楽しめるミッドシップ2シーターだった。スタイリングは相当にアクの強いものではあったが、同時期の上位モデルであるカウンタックほどヘンテコリンな車ではなく、スチールのボディでドライビングポジションもまあまあ常識的。ゆえにそこそこ売れたものの、後々まで語り継がれるほどのオーラはなかった。
ジャルパは1990年代に入る前に生産を終了し、以降、10年以上にわたってランボルギーニのライナップはディアブロ、ムルシエラゴのV12シリーズのみの時代が続く(他にSUVのLM002があったが)。
そして10数年ぶりに復活したベビー・ランボルギーニがガヤルドというわけだ。先代モデル、といえるほどのつながりはないが、いちおうジャルパと比較してみると、エンジンの最高出力はほぼ2倍に増加し、車重は逆に減っている。時代が違うとはいえ、ものすごい進化だ。さらにガヤルドがすごいのは、上位モデルであるムルシエラゴと比較しても、その性能に遜色がないことだ。エンジンの最高出力は500PSと580PSでそれなりに差があるものの、ガヤルドはムルシエラゴよりはるかに軽量。そのため、パワーウエイトレシオで比較すると、両モデルとも2.8kg/PS前後とほぼ同等になる。
アウディ傘下に入り、より高レベルで車を作れる環境になった
筆者の目にはどうもピンとこなかったガヤルドだが、日本でも世界でも大ヒットとなった。パワーウエイトレシオでムルシエラゴと同等というハイパフォーマンスを誇りながら、価格はムルシエラゴが4,000万円超だったのに対し、ガヤルドは1,800万円台(2003年モデル)からと半額以下。コストパフォーマンスはきわめて高く、この点を改めて考えると、ヒットしたのも当然といえるかもしれない。
なぜこれほどのコストパフォーマンスが可能になったのか? そこにはやはりアウディの存在があるといえるだろう。
ランボルギーニは1999年、アウディ傘下に入った。それから最初に発売されたモデルがムルシエラゴで、やや遅れて登場したのがガヤルドだ。ガヤルドはアウディが得意とするアルミボディを採用しており、アウディR8と多くのコンポーネントを共有している。これは当然コストダウンにつながったはずだ。
ところで、ガヤルドやムルシエラゴのさまざまなパーツにアウディのマーク、フォーシルバーリングスが刻まれることを否定的にとらえる意見もあるようだ。筆者も愛車だったポルシェ911に日本製のパーツが使われているのを発見し、鬼の首でも取ったかのように友人に見せびらかした覚えがあるので偉そうなことは言えないが、こういったことはいまの自動車業界ではまったく珍しくないし、否定的にとらえるべきことでもないと思う。
たとえば、ジャガーのオールドカーで電装系が日本製となっているモデルは、揶揄(やゆ)されるどころか、むしろ人気が高い。ランボルギーニにしても、実際に買う身になればアウディパーツが使われていることはむしろ喜ばしいことだろう。ガヤルドの販売に貢献することはあっても、イメージダウンになるようなことはなかったと思われる。
別にジャガーやランボルギーニの信頼性にケチをつけるつもりはない(いや、つけているのかな……)が、小規模な自動車メーカーがすべてのパーツを自社ブランドでそろえるのは無理があるし、それ以前にナンセンスだと感じる。
ランボルギーニはアウディの傘下に入ることでその血が薄まったのではなく、むしろランボルギーニが作りたい車を、より高いレベルで作れる環境を手に入れたといえるのではないだろうか? そこからガヤルドという名車が生まれたと考えれば、同社史上最高のヒット作となったのもうなずける気がする。