今年の木村伊兵衛写真賞を受賞した志賀絵里子さんは、ロンドンを拠点に制作活動を続けている。それが日本で活動する他の写真家と異なる現代美術的表現に繋がっているのではないかと飯沢氏は指摘する。伊兵衛賞をテーマに語る「Photologue」、その第2回をお届けしよう。(文中敬称略)
第33回木村伊兵衛写真賞 志賀絵里子 『CANARY』『Lilly』
今年の木村伊兵衛写真賞は、志賀絵里子と岡田敦の2人同時受賞だった。志賀絵里子は、『CANARY』と『Lilly』という2冊の写真集で受賞している。『Lilly』は被写体がロンドンの団地に限定されていることと、どこか心霊写真的な作り方が統一されているとはいえるけど、2冊の写真集で大きな違いはないよ。彼女の世界観を多面的に見せるため、写真集としての編集の仕方が違っているだけだと思う。2冊の写真集が同時期に出版されたことについては、わざとそうしたんじゃないかな。出版社同士で合意がないと、こんなふうにそろって出版されることはないだろうね。作品を世の中に発表するときに、1冊よりは2冊、3冊と同時に発売したほうがインパクトがあると出版社サイドは考える。この同時出版という手法は、2001年に出版された川内倫子の『うたたね』『花火』『花子』の3部作で成功して、川内は見事に伊兵衛賞を受賞している。
志賀理江子は、これまでの受賞者の多くとはかなり異質な経歴の持ち主で、東京工芸大学を中退してロンドンに渡り、ロンドンチェルシー美術大学に入学するんだ。写真家のバックグラウンドを日本ではなく海外で作って、卒業後もロンドンに活動の拠点を置いている。学生の時から海外で活動することは、最近目立ってきたひとつの傾向だね。そういう人たちの作品を見ると、日本で活動している作家と写真表現に対する発想がちょっと違う印象を受ける。
海外で顕著な現代美術的発想
"写真的発想と現代美術的発想は何が違うのか?"というテーマもあるけれど、これを言い始めるときりがない。大ざっぱにいうと、写真的発想はカメラを持って現実世界に直接向き合うのが基本。あらかじめコンセプトを立てるんじゃなくて、体とカメラで現実にぶつかってそのリアリティを捕まえていく。偶然性や身体性などが写真表現の基本になってくる。逆に現代美術的な発想は、まずコンセプトがあって、「こういうふうに世界を見よう」とか、「こういうふうに世界を構築したい」という方法論がある。そして表現手段のために、写真を利用して作品化していく。つまり、あらかじめ作品の設計図があって、それに従って作品を構築していく。
こういう作品の作り方は、アメリカやヨーロッパの写真の教育で徹底的に仕込まれることなんだ。たとえば先生に写真を見せに行ったら、海外では「なぜ撮ったんだ?」と聞かれる。しかし日本の場合では「どう撮ったんだ?」と聞く。この違いは大きいね。「なぜ=Why」と「どう=How」の違い。海外ではきちんと「私はこう考えて、だからこうして撮りました」と、自分の考えを説明できるかできないかで評価が決まってしまう。だから今年受賞した志賀理江子の写真は、一見偶然性に頼っているように見えるけど、アサヒカメラの「受賞のことば」なんかを読むと、きちんと考えて作品の世界観を提示していく方法論を実践していることがわかる。それが現代美術的発想なんだよ。
コンセプトに沿って制作していくとはいっても、考えた通りにことが進むのか? というとそういうわけでもない。志賀の場合は、ロンドンの団地に住む住民全員を暗闇の前に立たせて撮影したり(Lilly)、仙台やメルボルンに住む人々に質問状を出し、その答えの場所を実際に訪れて思索して作品化している(CANARY)。撮影後に加工もして、加工により自分の世界を作り上げることができるけど、時として予想がつかない作品ができたりして、それに身を委せているところもある。その両方のバランスが面白い。志賀はむしろ、見る人の予想を超えるような作品を作っていこうとしているね。人を驚かせたりショックを与えたりして操作する能力がすごく高いと思う。最近はスケールが大きい作品を作る写真家も増えているけど、その中では大いに可能性があると思う。現代美術と写真の発想をうまく融合させているといえるだろう。
志賀はロンドンで活動しているけど、2005年と2006年に大阪と仙台で個展を開いている。だから新人を発掘しようとしている編集者や評論家たちは、前から気になる存在として見ていた。僕も名前は聞いていたからね。それが今回写真集を出版することで、その才能を一気に開花させた。彼女は雑誌で仕事をするタイプではないので、これから先も美術館やギャラリーでコンスタントに展覧会を開いていくとか、作品をまとめたら写真集を出版するといったことをじっくり続けていく必要があるよね。制作を続けるのなら、東京や大阪で活動するよりも、ロンドンにいたほうが環境は作りやすいと思う。木村伊兵衛写真賞を受賞したことで、国内に名前が知られるきっかけになったわけだから、今度は東京で大きな個展を開くといいんじゃないかな。4月19日からコニカミノルタプラザで受賞展が開催されるけど、それとは違った新作も含めた形で大きな展覧会を見たいね。
志賀理江子。1980年愛知県生まれ。2000年東京工芸大学中退。04年ロンドンチェルシー美術大学卒。ロンドンを活動の拠点に、多くの個展やグループ展で活動。05年「TOMLINSON CLOSE」でMio写真奨励賞審査員特別賞受賞 |
伊兵衛賞の同時受賞
木村伊兵衛写真賞の同時受賞については、面白さとつまらなさが両方あると思う。なぜ同時受賞が起こるのかというと、受賞者を1人に絞り込むことが難しい場合と、その年にインパクトのある人がいなくて、1人1人の作品の弱さを同時受賞にすることでバランスを取る場合の2種類があるね。しかし、2000年の3人同時受賞のように、相乗効果として強さに変わることもある。今回の同時受賞については、これは僕の意見だけど、志賀理江子1人でも良かったんじゃないかって思うんだよね。2人の作品を見ても同時受賞の意味合いが、あまり出てない気がする。実は僕は岡田の受賞はまだ早かったと思っているんだ。
同時受賞は、1人1人の個性を殺してしまう可能性もあるから注意するべきだけど、1人受賞にこだわり過ぎると「該当者なし」の年が出てしまう。このような賞は、なるべく「該当者なしを出さない」という気運がある。だって「該当者なし」ということは、その年に出てきた写真家たちの可能性をすべて否定するということでしょう? 審査員は可能性がある人はなるべく掬っていこうという気持ちを持っているからね。
望ましいのは、その年に圧倒的な実力を持った写真家が1人現われることだよ。そのような年は見ていて気持ちいい。たとえば第14回の宮本隆司『建築の黙示録』や、第22回の畠山直哉『LIME WORKS』、第24回のホンマタカシ『TOKYO SUBURBIA 東京郊外』なんかは、誰が見ても納得できる年だった。だけど意外な人が受賞する面白しさもあるから、どちらがいいかは断言できないけどね。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。
まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)