単なる自己紹介の写真の束ではなく、写真家の世界観をまとめた作品集でもあるポートフォリオ。このポートフォリオをまとめるときに、いくつかのポイントがあると飯沢はいう。今回はタイトルやキャプション、リズム感など、ポートフォリオをまとめるときのポイントを解説する。 (文中敬称略)

はじまりと終わりが大事

「はじまりと終わりが大事」ということは、写真だけでなく文章や音楽など、すべてに当てはまると思うよ。はじめと最後のイメージで全体の出来ばえの70%から80%が決まってくる。一番最初の写真は作者の世界へ引き込む役割があるから、そこで見る人の心を掴まないと最後まで見てもらえない。だから「つかみ」は本当に大切なんだ。最初から3枚目くらいまでが勝負だね。終わり方……というより終わらせ方も大事なこと。たいていのポートフォリオは、終わりの部分でダラダラ続きすぎるか、途中でいきなり終わってしまって消化不良なままのものが多い。後味のよい終わり方を、しっかり考えてほしいね。

実際にポートフォリオをまとめる場合は、はじまりと終わりの写真を決めてから、その間を埋めていくという方法もある。だけど、たいていは最初の写真は決まっていても、終わりの写真は中身が決まった最後に選ぶことがが多いかもしれない。また、すでに写真がそろって、いざポートフォリオをまとめようとしても、なかなか最後の写真が見つからないこともある。そんなときは、もう一度写真を撮り続けてみよう。終わりの写真がしっかり撮れた時が、ポートフォリオ作りの終わりということなんだ。

タイトルのチカラ

学校の課題やコンペの審査などでポートフォリオを見る機会が多けど、もっとタイトルを大切にしてほしいね。タイトルはものすごくチカラを持っているんだ。「言葉が苦手だから写真を撮りました」という人がいるけど、これは言い訳だよ。誰も毎日いろんなことを考えているけど、それは言葉を使って考えている。だから言葉を使えないということは「考えていない」と同じなんだ。考えていない作品はいくら見栄えが良くてもつまらないね。無理して哲学的や文学的な用語を使って難しいタイトルを付ける必要はない。自分の考えている言葉の中から自然に浮かび上がってくるようなものをすくい取っていく。難しい言葉を使って良かったタイトルというのは、あまりないんだ。タイトルには作者が考えていることが、怖いくらいに如実に現れる。タイトルを見て、作品の内容がよりふくらんで見えてくるものがいいタイトルだよ。

よく「UNTITLED」や「無題」という作品のタイトルを見かけるけど、できれば避けたほうがいい。ああいったタイトルを付ける人を見ると、作品の見方をタイトルで固定させたくないタイプと、適切なタイトルが付けられなかったから「UNTITLED」や「無題」に逃げてしまうタイプがいる。だけどほとんどは後者だね。言葉抜きで写真を成立させるのなら、例えば記号的なタイトルや、日付だけなどの方法もある。そのような方法も考えずに、「UNTITLED」や「無題」と付けてしまうのは、思考停止して楽をしている印象を受けてしまうんだ。

英語でタイトルをつける人も多い。英語のタイトルは世界の人に目を向ける意味もある、カッコよく感じられるということもある。僕の経験だけど、日本語でタイトルを付けてしまうと、写真の内容とタイトルの意味が密着しすぎて、居心地が悪くなってしまう場合もある。普段使っていない英語を使うと、作品とのタイトルと作品と距離感を保てるから、スッキリ見えることもある。だけど、英語が得意じゃない人が英語でタイトルを付けると、間違った使い方をしていたり、滑稽なものになっていることもよくあるよ(笑)。だから、できるだけ日本語でしっかり考えてほしいね。日本語で考えた上で、最終的に「日本語の力が強すぎる」と感じた場合に、英語とか他の国の言葉を使うことを考えればいい。

キャプションの意味

キャプションもタイトル同様に写真にとって重要な要素だ。キャプションをつけることで、より内容を伝えやすく、膨らみを持たせることができる。写真をどのような意図でどのように撮ったのかを、言葉の形で説明することは悪いことではない。ただし、使う言葉は充分に検討する必要がある。それとキャプションを配置する場所もきちんと考えてほしいね。キャプションにも色々な形があって、タイトルや地名、日付だけの短いものや、その内容をきちんと説明する長いものがある。また、写真にかかるキャプションも、1枚1枚に付けるキャプションのほかに、写真集全体を説明するキャプションもある。そして、それらをポートフォリオのどこの部分に置くのかで印象は変わってくる。つまりポートフォリオの冒頭、途中、巻末に配置する3つのパターンが基本だろう。それらをどのように組み合わせるかは、ものすごく考える必要があるね。一番良い形を模索していく作業を積み重ねて完成させてほしい。

藤代冥砂の『ライド ライド ライド』(1999年 スイッチ・パブリッシング)は、彼が世界一周バックパッカー旅行をしたときの写真日記。旅が好き、出会いが好き、何よりも女の子が大好き、という藤代のポジティブなエネルギーが全開で、見ていると元気が湧いてくる。この写真集のキャプションの使い方はとてもうまい。長い文章と短い文章を写真の間にうまく散りばめ、読者を前へ前へと引っぱっていく。特に勢いを感じるのは、写真に載せているキャプションで「口と胸の大きい女が大好きだ。バンコック!!」、「ライド、ライド、ライド、バスに乗り、列車に乗り、船に乗り、時には女に乗って、行く」という具合に、写真と言葉との響き合いがぴったりしていて楽しい。藤代は奥さんを中心に撮影した『もう、家に帰ろう』(2004年 ロッキング・オン)でも、荒木経惟の『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社、1991年)の日記的なキャプションをうまく活かして言葉をつけている。彼は小説も発表しているから、もともと文章を書くのが好きなのだろう。なかなか彼のようにはうまくいかないかもしれないが、ぜひ参考にしてほしいと思う。

藤代冥砂 『ライド ライド ライド』 1999年 スイッチ・パブリッシング

藤代冥砂 『もう、家に帰ろう』 2004年 ロッキング・オン

リズムに乗れ

写真の並べかたを考えてみると、リズム感も意識してほしいね。人間の目は、網膜のレベルで理解している部分がある。つまり網膜的な快い刺激が与えられると、いい写真だと感じるんだ。内容や物語の流れ、伝わってくる意味も大事だけど、網膜への刺激が次々に変化してくるリズムも大事だと思うね。ヴォルフガング・ティルマンスの写真がまさにそうだと思う。次のページにどんな写真を持ってくるかを考えるとき、論理的に理屈で考えすぎると堅苦しくなってしまう。じっくり見せるページ、気持ちよく写真がめくれるページ、全体の流れのリズム、写真の大きさのリズムなど、全部をひっくるめて考えなくてはいけない。

視覚的なリズムは、作品の内容より被写体の形や画面構成、色、余白などの刺激で作られている。写真のリズム感を鍛えるには、むしろ写真を見て勉強するんじゃなくて、音楽を聴いたり、楽器を弾いたり、体を動かしたりのも大事かもしれない。心地よいリズムを経験することで、視覚的な刺激を捕らえられるようになる。それと、余白は大事だね。音楽だったら、沈黙の部分だよ。ページをめくっていると、白い部分の面積で写真の見え方が大きく変わってくるし、並べた人のセンスもわかってしまう。きちんと意味を感じさせる余白と、なんとなく空けてみたんじゃないの? って思う余白があるからね。基本的に、白ページ(写真が1枚もないページ)は、意味の切れ目にくる場合が多いよ。

結局のところ、あまり難しく考えないで楽しむことが大事。「リズムに乗る」というのは、読者を乗せるだけじゃなく、自分も乗って楽しんで勢いで作ってしまうという意味でもある。「よく考えろ」と何度も解説してきたから、矛盾するように思えるかもしれないけど、ポートフォリオ作りには、やっぱり勢いも大事なんだ。いい写真と悪い写真、好きな写真と嫌いな写真は、頭を使って考え過ぎるとわけわからなくなるよ。前に思い切って進むためには、自分が心地よいと思うリズムで決めてしまうといい。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)、『きのこ文学大全』(平凡社新書)、『戦後民主主義と少女漫画』(PHP新書)など著書多数。写真分野のみならず、キノコ分野など多方面で活躍している。