90年代はじめの「女の子写真」というムーブメントは、一過性なものではないと飯沢は言う。2000年以降も、「女の子写真」に影響されて出てきた女性写真家は多い。また、「女性原理」を出発点にしたアーティスト系の写真家も増えている。女性写真家の特集の最終回は、2000年以降に登場した女性写真家を解説する。

2000年以降に登場した女性写真家

女性写真家が増えた理由にソフトウェアとハードウェアの両方があったと解説したけど、1980-90年代から写真の発表の形が印刷媒体から展示に軸足を移していったことも大きく関係していると思うね。80年代後半から写真をギャラリーや美術館に展示する動きがでてきて、その中で写真を扱う女性アーティストが増えている。例えば、現在東京都写真美術館で展覧会を開催しているやなぎみわ、第28回2002年度に木村伊兵衛賞を取ったオノデラユキ、第29回2003年度に木村伊兵衛賞を取った澤田知子という、アーティスト・フォトグラファーの人たちがそうだ。彼女たちを見ていると、写真における「男性原理」と「女性原理」を非常にうまく使い分けながら、作品としての完成度を上げているのがわかる。制作の出発点は、同化や受容、肯定、幸福感という女性原理的な発想なんだ。しかし、制作し発表していく過程はコンセプトを立てて構築的に作っていくという「男性原理」に基づいている。そうやってみていくと、アーティスト・フォトグラファーたちは、『シャッター&ラヴ』に代表されるような「女の子写真」作家たちとは違う体質を持っているね。

澤田知子とHIROMIXのセルフポートレートを比べると、全く違うことがわかるよ。HIROMIXのナルシスティックなセルフポートレートとは違って、澤田には非常に客観的に自分自身を見返している目線がある。「女の子写真」なら自己陶酔や自己美化が含まれてもいいけど、美術館に展示するアーティストの作品には客観的批評的な目線が絶対に必要になる。90年代半ばの普通の女の子が写真を撮って発表することと、それ以降に登場したアーティスト・フォトグラファーたちが美術館やギャラリーに作品を展示することは、立場がぜんぜん違うんだ。

90年代半ばの女の子写真については、あの時代に独特な花火みたいな現象だったと見ている人も多いけど、僕はそうは思っていない。90年代半ばに登場した女の子写真家たちが押し広げていった表現の世界は、現在までずっと続いているんじゃないかな。例えば、2007年度の第32回木村伊兵衛写真賞を受賞した梅佳代の作品は、遅れてきた「女の子写真」だと思うね。彼女の軽やかな脱力系のスナップショットの撮り方は、たぶん「女の子写真」ブームがないと現れてこなかったと思う。彼女の写真は、見た人に"私もこんな光景見たことがある"という共感を呼び起こす回路を備えているんじゃないかな。あの写真は誰でも撮れそうに見えるけど、そんなことはない。「女の子」の感覚をずっと持ち続けてている人でないと、なかなか撮れない写真だよ。「永遠の子供」だね。その部分は誰にも真似できないけど、昔は誰もが童心を持っていたから、それに共感する回路はまだあるということだろう。

澤田知子 『MASQUERRADE』 2006年 赤々舎

梅佳代 『うめめ』 2006年 リトルモア

注目する若手女性写真家

90年代の女性写真家によって、作家の性別や作品の作り方などを含めて、写真界に大きな風穴が空いたと思う。そこに新しい才能の面白い人たちが、どんどん入り込んできている。僕は若手作家のなかでは、テグ写真ビエンナーレ2008にも参加してもらった、うつゆみこ、元木みゆき、高木こずえを注目しているね。

1978年生まれのうつゆみこは、80年代に今道子がやろうとした奇妙なオブジェの増殖を2000年代にやっているようにも感じられる。しかし、うつの写真の方がもっと自由度が増してきている印象を受ける。今道子の写真は、モノクロームの完成されたファンタジーの世界で画面の中に凍りつき、固定されている。しかし、うつの写真世界は、日常的なものたちが、自分勝手に増殖してうごめいている流動的なファンタジーの世界なんだ。イノセントな悪夢みたいな彼女の世界は、90年代の「女の子写真」ブームを通過して出てきた新しいタイプの表現だろうね。

1981年生まれの元木みゆきは、2005年のひとつぼ展でグランプリを取った。この「学籍番号 01145」は、2005年に卒業した東京造形大学の学生生活をデジタルカメラで撮影したスナップショットで、ちょっと遅れてきた「女の子写真」っぽい印象も受ける。しかし、2007年に東京芸術大学の先端芸術科に進んでからは、表現の幅がすごく広がり、2008年にはさがみはら写真新人奨励賞受賞と写真新世紀優秀賞をダブル受賞している。さがみはら写真新人奨励賞受賞では、彼女の親の実家が北海道で営む牧場を1年を通して撮影して、牛たちの生命の営みを撮影した。それと対になっている作品が写真新世紀優秀賞を受賞した「食肉処理場」の作品なんだ。元木は生と死という大きなテーマに取り組むことで、現代社会における生命のあり方をもう一度見直そうとしている。彼女の問題意識は、90年代の女性写真家たちの意識を超え始めているんじゃないかな。

1985年生まれの高木こずえは、90年代の女の子写真ブームを知らない世代だ。78年生まれのうつは、高校時代に女の子写真ブームをは知っていて、レンズ付きフィルムで写真を撮っていたらしい。元木はギリギリで、HIROMIXらの名前を知っていても、同世代的な共感では見ていなかったと思う。高木の世代になると、「女の子写真」、「ガーリーフォト」と呼ばれた作品を、同時代的に経験していないから、影響もまったく受けていない。彼女はとても潜在能力が高い写真家で作品のスケールも大きい。東京工芸大学在学中の2006年に、キヤノン写真新世紀グランプリとEPSON Color Imaging Contestの準グランプリを同時受賞している。彼女のすごいところは、イマジネーションが変幻自在で、たくさんの引き出しを持っていること。そして感情的な「女性原理」と、構築的に作り込んでいく男性原理的な写真のバランスがうまく取れていることだと思う。東京工芸大大学卒業後も順調に活動を続け、TARO NASU GALLERYで商業ギャラリーのデビュー果たし、上野の森美術館で開催される「VOCA展2009」にも出品した。秋には赤々舎から、この「GROUND」シリーズを含む写真集が2冊同時刊行されると聞いている。今年はもしかすると、高木こずえの年になるんじゃないかな。それくらい期待も大きい。

90年代に出てきた「女の子写真」を社会がもてはやしたのは、それまで女性写真家の数が少なくて、希少価値だったという理由もある。しかし、90年代の女性写真家たちの活躍によって、"若い女性"という価値、そしてそれを特別視するという歪みは、2000年以降にはなくなってしまった。しかし何度も強調しているように、「女性原理」的な写真のあり方は今後も大事なことであり続けるだろう。今のような世界同時不況という経済状況だと、どうしてもパワーゲーム的な「男性原理」が社会全体に覆い尽くしてしまう可能性がある。ちょうど「女の子写真」ブームが起きたのがバブル崩壊後だから、今の状況と似ているね。厳しい社会状況だからこそ、肯定感や幸福感を表現する「女性原理」的な写真が必要になってくるはずなんだ。

うつゆみこ 『PHOTOZINE 001 YUMIKO UTSU』 2008年 G/P gallery

元木みゆき 写真新世紀2008年度優秀賞「zoe ゾーエー」 写真新世紀 Vol.23より

高木こずえ 「rebirth」 2009 type C print

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)