90年代になると、10-20代の普通の女の子たちが一斉に写真を撮り始める現象が起こる。いわゆる、「女の子写真」や「ガーリーフォト」と呼ばれたブームだ。これらの言い方にはどこか揶揄や否定的なニュアンスも含まれるが、今回はあえて「女の子写真」という言い方で、あの当時の不思議なエネルギーが渦巻いていた日々を振り返ってみよう。(※文中敬称略)
普通の女の子たちが写真を撮るブームの予兆
「女の子写真」のブームがピークに達しつつあった1996年5月、僕は『シャッター&ラヴ』(1996年 インファス)という写真集を編集・出版したんだ。この写真集が出る前に、女の子たちの写真ブームを予兆させる出来事があった。まず雑誌『STUDIO VOICE VOL.236』(1995年 8月号)で、特約編集者の吉田広二が同名の「シャッター&ラヴ」という特集を組む。この特集は、半分をホンマタカシ、高橋恭司、平間至などの売れてる写真家が撮った女の子の写真、あとの半分をHIROMIXや長島有里枝などの若い写真家が撮った写真で構成されていた。驚いたことに、むしろ若い女性写真家が撮ったページの反響がすごかったんだ。彼女らが撮った日常の写真は、非常にビビッドでリアルでインパクトがあり、同世代の子たちに"自分たちの見ている世界を表現してくれた"と勇気をあたえたんだと思う。それが一つのきっかけになって、女性写真家たちに注目が集まるようになる。そのような流れから、吉田が『STUDIO VOICE VOL.243』(96年3月号)で、まだ10代だったHIROMIXの特集を組むと、これも大きな話題になった。
このような経緯で、吉田(写真評論家としてのペンネームは金子義則)との共同作業で、当時いっせいに登場してきた1970年前後に生まれた女性写真家たちの作品とインタビューを写真集『シャッター&ラヴ』にまとめたんだ。同作品で取り上げたのは、長島有里枝、辻佐織、コバヤシマサコ、飯塚三枝、白土恭子、中島古英、金子亜矢子、中野愛子、小島(おじま)ゆかり、マヤ、高橋万里子、戸崎美和、岡本真菜子、岡久美、藤岡亜弥、蜷川実花の16名だった。
誰でも簡単に写真が撮れる時代の到来
なぜ1990年代以降に若い女の子たちが写真を撮り始めたのかは、ソフトウェアとハードウェアという2つの側面から論じることができる。まず、カメラやプリンターなどの写真を取り巻くハードウェアの環境が90年代以降大きく変わった。昔は、大きなカメラに三脚を構えて撮るというスタイルだったけど、シャッターを押せば写るコンパクトカメラ、手軽で値段の安いレンズ付きフィルム(使い切りカメラ)が登場したことで、若い女性でも簡単に扱えるようになった。コンパクトカメラを化粧ポーチと一緒にバッグに入れて持ち歩き、気軽にシャッターを切って愉しむスタイルは、女の子達に合っていたんだろう。
それからカラーコピー機の登場も大きかった。オフィスやデザイナーの事務所には前からあったけど、90年代のはじめごろからコンビニエンスストアにコイン式のカラーコピー機が設置されるようになった。すると女の子たちの間で、サービス判のプリントをカラーコピー機を使って、拡大・縮小して手作り写真集を作ることが流行したんだ。安い値段でカラープリントが作ることができるとともに、目に鮮やかな原色が彼女たちの気分にぴったりだったのだと思う。
プライベートな記録も作品になる喜び
ソフトウェアというのは、若い女の子でもハードウェアが使いこなせるようになって、"なにを表現するか?"という、被写体とテーマが明確に見えてきたこと。従来の写真家達は、水俣病とかベトナム戦争などのドキュメンタリー作品や、きれいな富士山などの風景を撮るというような、明確なテーマや目的によって撮影していた。でも、そういう"遠い"テーマは、彼女たちにはあまり興味がないだろう。とすれば、"何が面白いか"と模索していた女の子達にとって、荒木経惟とナン・ゴールディンの作品は、大きな影響を与えたはずだ。
僕の知る限り、コンパクトカメラを純粋に表現のツールとして使い始めたのは、荒木経惟が最初だと思う。彼は日付が入るコンパクトカメラで撮影した写真を、男性向け週刊誌『ウィークエンド・スーパー』に連載していた。そしてそれらを『荒木経惟の偽日記』(1980年 白夜書房)でまとめて単行本化している。タイトルを「偽日記」としているように、画面に写りこんでいる日付と、実際の出来事が厳密には対応しているわけじゃない。写真集をめくっていくと、エイプリルフールの「4月1日」と、終戦記念日の「8月15日」の日付が異様に多いことに気づくだろう。彼は日付を操作することで、本物の出来事と、偽の出来事が入り交じるハイブリッドな構造が作る実験をしていたんだ。90年代になると。荒木は愛妻の陽子の死の前後を、やはり日付入りコンパクトカメラで「写真日記」として記録した『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991年 新潮社)を刊行して衝撃を与える。
それと前後して、アメリカの女性写真家ナン・ゴールディンが紹介され、日本の若い写真家たちに強い衝撃を与えた。ゴールディンは、ボストンで少女時代を過ごしたが、14歳で家出をしてドラッグ・クイーン(女装のゲイ)たちと共同生活を始める。そして18歳の頃からルームメイト、恋人、同性・異性の友人たちをカラーフィルムで撮影した『性的依存のバラッド』(The Ballad of Sezual Dependency、1986)を発表した。もたれ合いながらも傷つけあわずにはいられないようなカップル同士の姿があり、彼らの相互依存の関係を生々しく撮影したシリーズだった。その中には、恋人に殴られ目を赤くした彼女のセルフポートレートもあり、普通なら人前にさらされようのない赤裸々なプライベートなイメージもある。彼女の写真は、従来のドキュメンタリーのように客観的に撮影されたものではなく、まるで家族が撮影するような、ごく近い親密な視点から撮影されていたんだ。
荒木経惟やナン・ゴールディンの作品は、「コンパクトカメラで撮った写真」や「身近な出来事を撮った写真」でも作品になるという驚きや喜び、解放感、そして勇気を女の子たちに与えたと思う。
視線・感情とシャッターが直結する「女の子写真」
女の子達はコンパクトカメラを使って、"好きなもの・カワイイもの"、"その時にしか写せない魅力的なもの"などが目の前に現れると、瞬時にシャッターを切ってフィルムに収めていった。彼女たちの写真には、どんなに上手な職業カメラマンでも撮影することができないような、同時代を生きている男の子達や女の子達の等身大の姿が、いきいきと写し出されてる。そこにあるのは楽しい場面だけでなく、時には社会のプレッシャーで押しつぶされそうになって、脅えているような表情も写っている。若い女の子たちは、幸せな日常だけではなく、結婚すれば幸せという社会観や、女子大生ブーム、女子高生ブームというようなプレッシャーの中で生きていたんだ。その社会への嫌悪感を含めたリアクションが、彼女たちの写真には強く現れていた。自分をちゃんと見せたい(見て欲しい)、今の輝きを残したいという彼女たちの意欲が、写真と結びついて爆発したのが、90年代半ばくらいのいわゆる「女の子写真」や「ガーリーフォト」と呼ばれたブームだったのだと思う。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。
まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)