『テグ写真ビエンナーレ2008』のメーン会場では「韓国・中国・日本現代写真展」が企画された。日本のパートでは、キュレーションを担当した飯沢耕太郎が選出した、やなぎみわ、澤田知子、鷹野隆大、内原恭彦、屋代敏博、櫻田宗久、野村浩、安楽寺えみ、高橋万里子、うつゆみこ、元木みゆき、高木こずえの作品が展示された。今回は12名それぞれの作品について飯沢が解説する。(文中敬称略)

「韓国・中国・日本現代写真展」 日本パート

記号化された身体イメージ

やなぎみわ 『The Thee Fates』

やなぎみわは、デジタル画像の改変性を1990年代から最も積極的に取り入れていったアーティストの1人だね。「Elevator Girls」のシリーズでは、見分けがつかない記号化された女性たちが、都市の空間に増殖していく白昼夢のような世界を見事に作りあげた。だけど2000年代になると、彼女の作品にはお伽話を思わせる物語性が取り入れらるようになる。記憶の底に眠っていた、幼少時代の怖れや痛みを呼び覚ますような寓話的なイメージは、今回出展された人間の運命を司る3人の女神を主題にした「The Thee Fates」にもはっきりと現れているよ。


澤田知子 『OMIAI』より

澤田知子は、1999年に証明写真のブースを使い、メイクや衣装を変えながら400枚の写真を撮った「ID400」のデビュー以来、セルフ・イメージに執拗にこだわり続けてきた。他者から見られた自己と、自分自身にとってのセルフ・イメージの落差をとらえ直そうとする姿勢は、今回出展された「OMIAI」でも一貫している。「お見合い」とは、若い男女が結婚相手を求めて出会いの場に挑む日本独自の儀式だけど、その前に写真を見せ合うでしょう? だけどその写真は、相手に良い印象を与えるために微妙に修正されていることが多いんだよね。澤田はメーキャップや衣装を変えて、何通りもの女性像を提示して、「唯一の絶対的な自己」という原理にひび割れを生じさせているんだ。

内原恭彦 『大槻孝志』

内原恭彦は写真家としてデビューしてから、ずっとデジタルカメラによって日々大量の画像を撮影して、自分のウェブサイトにアップロードし続けてきた。その意味でデジタル時代における写真表現の最前線を切り開いてきた1人といえる。彼は2004年以降、さらにデジタル画像の質感にこだわるようになって、1つの被写体を数十に分割して撮影し、その画像をパソコンの画面上でつなぎ合わせて巨大な超高解像度画像を作り上げる「スティッチング」という技法の作品を発表し始める。この画像はファイルを開くだけで30分くらいかかるなど、"超ヘビー"な画像によって非物質的なデータの集積であるはずのデジタル画像に、アナログ写真以上の物質性を与えようという破天荒な試みなんだ。

屋代敏博 『回転回』より

屋代敏博は2000年代以降、画面の中に回転する身体を写し込む作品を制作始めたんだ。最初は、彼自身が全身に黒の衣装をまとって回転していたんだけど、だんだん学校などを舞台にして、参加者がカラフルな衣装で回転する、パフォーマンス性の強い作品へと進化していった。輪郭が失われて、色の塊になった回転する身体は、見慣れた風景を活性化して、祝祭的な空間に変質させる異物のような役割を果たしているね。

野村浩 『eyes』より

野村浩は、身体の重要なパーツである「目玉」を主題に作品を作り続けている。彼の「目玉」は、漫画のように記号化されていて、勝手に動きまわって、いろいろな場所に貼り付いていく。その「目玉」がくっついたオブジェや風景はまるで生き物のように見えてくる。それはユーモラスだけど、ちょっと不気味なんだよね。1度見たら忘れられないような不思議な魅力を備えた作品なんだ。

櫻田宗久 『The Symmetrical Paradise』より

櫻田宗久は、1990年代からのキャリアを持つアーティストだけど、2008年の個展「Munetopia」(Zeit Photo Salon,東京)で完全にその資質を開花させたと言っていいだろう。デジタル画像の合成によって作り上げられる華麗で装飾的な画面には、記号化された大小の身体イメージが散りばめられているんだ。少女のファンタジーをそのまま具現化したような嘘っぽい世界にも見えるけど、そこにはある種の生々しさが感じられるんだよね。アニメ世代の身体イメージの典型といってもいい。架空のユートピアのはずの「Munetopia」の登場人物たちは皆、過剰な欲望、とりわけ性的な欲望を抱え込んでいるように見えてくるんだ。

制御不可能な感情や性的エクスタシーにこだわる作品

鷹野隆大 『Tender Penis』より

鷹野隆大が「Tender Penis」のシリーズで扱っているのは、コントロール不可能な身体のありようだ。等身大以上に引き伸ばされた男性の裸体は、ちょうどペニスのところで2分割されている。正面から見るとわからないんだけど、実は彼らのペニスは勃起時と平常の状態と2回に分けて撮影されているんだ。その見えないペニスは、実は裏に回ると観客から、見えるようになっていて、この展示方法は韓国の観客にもとても受けていたね。滑稽だけど厳粛でもある男性の肉体の現象について冷静に観察した、批評的な作品だね。

安楽寺えみ untitled

安楽寺えみは、日常的な空間の中でエロティックなパフォーマンスを展開し、そのイメージを生き物のように増殖させていくんだ。彼女の作品世界においては、苦痛と快楽、エロスとタナトス、美とグロテスクがコインの裏表のように同居していて、見る者はその千変万化するイメージに包み込まれて、彼女のエクスタシーを追体験することができる。それはまるで母親の胎内を思わせる、どこか懐かしい空間を漂っているような感覚でもある。

高橋万里子 『月光画』より

デジタル化が進む写真表現のなかで、あえてアナログ写真にこだわり続ける写真家もいるよね。高橋万里子もその1人だ。彼女の「moonlightgraphs」は、アナログカメラ特有のボケやブレを活かした表現にこだわっている。だけど、そこに現れてくる身体イメージは、とらえどころがなく、むしろ霊的な存在みたいなんだ。高橋の最大の関心は、身体の重力や物質性をいかに取り去っていくか、現実世界をどれだけ夢や記憶の中の空間に近づけることができるかということなんだろうね。

デジタル世代の若手作家

うつゆみこ それぞれにタイトルあり

うつゆみこは、幼少時代の感覚に異様に執着しているアーティスト。人形、昆虫、植物、食べ物などのイメージが、ほとんどでたらめに組み合わされ、奇妙な生命力に溢れた見世物小屋のような世界が作り上げられている。そこでは、意味より色彩、視覚より触覚のほうが優先されているようなんだ。「気持ち悪くて可愛くてグロイ」オブジェたちの小宇宙を、彼女は子供が泥をこね上げて悪夢を想像するように嬉々として作り続けている感じがするね。今回の展示では、彼女の凝りに凝ったインスタレーションの能力が充分に発揮されていたね。ユーモラスな部分もある彼女の作品世界は、外国でもこれからもっと高く評価されていくんじゃないかな。

元木みゆき 『So vague desire』より

1981年生まれの元木みゆきは、世代的には完全にデジタル時代の申し子だね。実際に彼女はこれまで、デジタルカメラで撮影した軽やかなスナップ写真を多数発表してきた。しかし今回の「So vague desire」シリーズでは、あえてピンホール・カメラという古典的な技法に挑戦してきたんだ。彼女の作品の身体イメージは淡く、希薄だけど、それによって逆に「覗き見」の欲望が強く喚起されるように感じられるんだ。今年は写真新世紀で優秀賞や、さがみはら写真新人奨励賞を受賞したりして、その才能が開花してきた年になったね。

高木こずえ 『Screams』より

1985年生まれの高木こずえは、今回の写真家たちの中で最も若く、将来を嘱望されている写真家の1人だね。大学在学中の2006年に写真新世紀でグランプリを受賞をした「Insider」シリーズは、デジタル画像の合成による実験的な作品だった。しかし彼女はその後、より内面性をストレートに表現する方向性へ変わりつつある。今回の「Screams」もその流れに沿うもので、強烈な身体イメージの群がまるで別な生き物のようにうごめき、渦巻いている。とにかく作品を発表するたびに、その「引き出し」の多さと潜在能力の大きさに驚いてしまう。

アジア写真の未来

彼らの作品を見てみると、日本の写真家たちにとって、身体イメージはこれから先も重要なテーマであり続けると思うね。そしてより細やかに、しかもダイナミックに表現する可能性は、デジタル化がすすむによってむしろ大きく拡大しつつある。これはもちろん日本だけに限定されることではなくて、今後は韓国や中国の作家たちも含めた「アジア的な」身体イメージがどのようなものであるのかを、きちんと確認していく必要があると思う。今回のテグ写真ビエンナーレは、その始まりになることを期待したいね。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)